エラそうな人と、偉い人

偉い人

世の中には偉いといわれている人が、

たくさんいますねー。

ま、偉いといわれてる人はたくさんいても、

本当に偉いかどうかは、わかりませんが、

全く偉くないにもかかわらず、

そんなことを偉そうに書いてしまう、

拙者ってどうよ?ということであり、

また、偉いと勘違いすらもされない、

拙者が書くなよという話ですが、

(よくわかってるじゃねーか)

そんな感じで、己を振り返りながら、

一応、書くんですけど・・・、

(書くんかい)

なんだか拙者、

だんだん不安になってきました。

(知らんがな)

エラそうな人

本当に偉い人物になると、

偉そうな様子は、全く見せない。

つまらぬ人間ほど、人を見くだす。

というような、

ウィリアム・ヘイズリットさんの言葉が

あるようです。

ようするに、エラそうな人って、

エラそうなだけで偉くないし、

まー、つまらぬ人間だよね。

ということですねー。

(お主が言うな)

ということになってくると、

もし、誰かに何か言われたとしても、

その人がエラそうな人なら、気にすんな。

ということになります。

ようするに、

ゆってぃさんのギャグのように、

ちっちゃいことーは気にするな

それ、わかちこわかちこー♪

という感じです。

(きょうれつーぅ)

ま、拙者は小心者ですから、何か言われると、

どんな人が相手でも、気にしてしまうので、

すぐに、夜しか寝れなくなるのですが、

(ていうか、それ、普通だろ)

そんなことはさて置き・・・、

(昼間はちゃんと起きてろよ)

ようするに、偉い人の話は聞いても、

エラそうな人の話は聞かなくていい。

ということですが、

いくらつまらぬ人でも大勢いると、

数の力に惑わされてしまい、

己が間違っているのか?

と、一瞬思ってしまいそうですねー。

ですが、つまらぬ人がたくさん集まっても、

つまらぬことに変わりはないし、

ただ、声が大きくなっただけですから、

それでも、気にすんな。

ということになるわけですねー。

まー、偉い人って、

一人でも充分すごいわけで・・・。

わざわざ集まって、声を大きくしなくても、

見る人が見るだけで、

すぐに凄さはわかるわけですから、

そもそも群れようとはしません。

己に自信がなく、己を大きく見せようと、

頑張ってる人とは違い、

読者数何万人!みたいな感じで、

数の力で「すごいPR」をしたり、

(誰のことだよ)

また、読者登録してね。フォローしてねと、

賛同者を求めることはないわけです。

(だから誰のことだよ)

利口と道理

逆に考えてみると、

偉そうな様子を見せない人が話すことは、

少なくとも、耳を傾けてもいいし、

しっかり、聞いてみてもいいんじゃね?

ということになります。

正忍記の中に、

道理とは、誰に聞いても変わらないもので、

内容も確実なもの。

利口とは、聞くには面白いものだが、

さまざまに変わるもの。

道理は、耳で聞く音に似ていて、

いくら物を隔てても聞こえるものだが、

利口は目で物を見るのに似て、

薄い紙が一枚あるだけで、

もう見ることができない。

(拙者の超訳)

というような、文章がありますが、

確かに、本当に正しいことって、

テクニックやノウハウとは違って、

時代や人種も問わないものであり、

状況や環境などによって、

コロコロと変わるものではありませんよねー。

正忍記にある利口って、ようするに、

エラそうな人ということですが、

正しいことがコロコロ変わるような、

利口者の話は面白いだろうけど、

道理に比べると薄っぺらいもので、

聞きごたえは、一段も二段も下がる。

つまり、エラそうな人の話は、

娯楽としてならいいけど、

人生をかけて聞くなら道理じゃね?

ということになるわけです。

ということは・・・、

伝えている正しさに一本の軸がなく、

いつもフラフラしているような話は、

利口者の話だから、何を聞いても、

気にしなくていい。

つまり、

エラそうな人は気にすんな

それ、わかちこわかちこー♪

ということになるわけです。

こよなき幸せ

ま、みんな幸せになりたいと思いながら、

生きているものでしょうが、

幸せとは何か?が、わからなかったり、

さらに、幸せになる術を知らないゆえに、

欲を満たすことが幸せだと勘違いし、

実際は、苦を求めて彷徨っている。

そんな感じかも、しれませんねー。

まー、彷徨うといえば拙者も、

最近、気が付くと、

知らないところにいたりしますが、

(お主の場合は彷徨うではなく、徘徊)

そんなことは横におき、

(迷惑をかけるから、横におくな)

中村元先生が訳された、

「ブッダのことば」の中に、

「こよなき幸せ」という段落があります。

多くの神々と人間とは、幸福を望み、

幸せを思っています。

最上の幸福を説いてください。

と、聞かれたお釈迦様は、

こよなき幸せとは、どういうことかを、

いろいろとお説きになるわけですが、

その中で、まず初めに説かれる幸せが、

諸々の愚者に親しまないで、

諸々の賢者に親しみ、

尊敬すべき人を尊敬すること。

という幸せです。

ちなみに、ここでいう愚者とは、

テストの点がよくないとか、

物覚えが悪いとか、仕事ができないとか・・、

なんだか拙者、

気分がわるくなってきましたが、

(全部、お主のことだな)

まー、そういう拙者のようなことではなく、

正しい道理や真理を知らない者。

ということです。

真理や道理を知らない。

ということを、言いかえてみると、

何が正しいことかを知らない。とか、

何が幸せかを知らない。

ということになりますが、

まー、いってみれば、

何が正しいかもわからず、

何が幸せかもわからなければ、

どうやって人生を歩くつもりだい?

ということになるので・・・、

なんだか、拙者、

またまた気分がわるくなってきました。

(またまた全部、お主のことだなー)

というわけで、拙者。

いろんなところを徘徊し、

これ以上、迷惑をかけないようにするため、

遅まきながら、金利手数料は・・・!

というところで、

(これらもぜーんぶまとめて!)

ナビを買ってやったのですが、

(やっぱりお主はエラそうだなー)

道理や真理を知らない、拙者のような者だと、

そもそも、どこに行けばいいか?も、

わからないのでー、

目的地すら、

入れられないことに気が付きました。

ちゃんちゃん。

(ちゃんちゃん。じゃねーだろ)

※たびたび変更してまいりましたが、

7月から、週に一度、

木曜日の更新に、変更いたします。

次回の更新は7月5日の木曜日です。

よろしくお願いいたします。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする