落ち込む人 落ち込まない人

いろいろあるよ、いろいろね

人間をやっていれば、

落ち込むこともありますよねー。

まー、人のことだと考えれば、

やったことは消すことができないし、

クヨクヨして、歩くことをやめるより、

むしろ、次に進むことが大事でしょ。

なーんて思えたりしますが、

己のことになると、人ごとのようには、

いかないことかもしれませんねー。

ま、拙者の場合、

わかっちゃいるけどやめられない

あ ホレ スイスイスーダララッタ

スラスラスイスイスイー♪

などと、毎回歌ってしまいますが、

スラスラスイスイスイーっと、

歌ったあたりで、我に返り、

のんきに歌ってる場合じゃねー。

と、思う次第です。

(そこまで歌ってやっとか)

まー、冷静に考えてみると・・、

さっぱり反省する気はありませーん。

というのは、別として、

事の顛末を、振り返って検証し、

今後に活かせる材料を見つけたのなら、

それ以上の反省など、必要ないわけで、

これから、今後の人生に活かせるなら、

むしろ、よかったじゃん。ということであり、

それ以上に頑張る、後悔や反省なんて、

己の心を疲れさせるだけで、

やる必要はないと思うわけです。

(お主は頑張って反省しろ)

生きる意味

とはいいつつも、

つい、クヨクヨしてしまうのが人間。

という側面もあるわけですが、

落ち込むような出来事って、

生きてりゃ、必ず起きるものですから、

避けることはできませんねー。

人間が生きる意味って何?とか、

使命ってなんだろう?

なんていうことを聞きますが、

拙者は、輪廻からの解脱以外にあるの?

なーんて、思います。

そのために生まれてきて、修業している。

そのように、思っているわけですが、

ま、己の考えと違うという方は、

スルーしてくださいねー。

(言うだけでなく、修行しろよ)

欲望に生きる人

多くの人が考えている、生きる目的って、

例えば、いい暮らしをする、出世をする、

有名になる、みたいなことでしょうか。

拙者のように、解脱じゃね?

という考え方は、横に置いたとしても、

そういったことを目標にして、

生きているということは、

使命とか、生きる意味ということも、

いい暮らしをする、出世をする、

有名になるという目標につながるわけです。

それをふまえて、

落ち込むということを考えてみると、

例えば、いい暮らしをする、出世をする、

有名になるというような目的に対して、

そぐわないことが起きたゆえに、

責められたり、注意をされたりして、

落ち込んでしまうということですよねー。

ま、失うものすら、なにもない拙者には、

まったく関係ないことですが、

(そうだろうけど、それでいいんかい)

ようするに、失敗して損をした。

よくない結果になった。みたいな感じで、

いい暮らしや、出世や、有名になることに、

影響が出てしまうので、落ち込んでしまう。

ということになるわけですねー。

目的が変われば

ということになると、

目的が変われば、指摘されることも変わる。

ということになります。

つまり、いい暮らしや、出世することや、

有名になることに影響が出る失敗でも、

拙者のように、解脱じゃね?

という、考え方の場合だと、

いい暮らしや、出世が目的ではないので、

そもそも失敗にはならないし、

落ち込むこともないわけです。

ま、ようするに、スラスラスイスイスイー♪

と、歌っていいということですが、

(なんでだよ)

まー、出世とか、名誉とか、財産などに、

人生をかけて生きていくって、

なんか小さい生き方だし、

しみったれた生き方だと思うわけです。

(お主がそれを言うかー)

などとエラそうに、拙者、

なにやら言っておりますが・・・、

(ホントだよ)

ようするに、いい暮らしができないので、

嫉妬して、ただ、ひがんでいるだけです。

(まあ、そうだろうな)

ま、それはさておき、

拙者のように解脱が目的と考えていると、

解脱するまで、輪廻をさまようわけですから、

今、湧き上がる一瞬の欲望にしがみついて、

今生で全てが終わるかのように生きるって、

目の前のことしか考えてない生き方というか、

刹那的な生き方だと思うわけです。

中島みゆきさんの、地上の星に、

名だたーるものを追って 輝くものを追って

人は氷ばかりつかむー♪

という、歌詞がありますが、

やがては水になって、消えて無くなるような、

欲望という氷に、一生懸命になっても・・・。

と、思うわけですし、

そもそも、命が尽きれば、

すべてを手放すしかないわけで、

そんなものに己の行動を支配されるために、

この世に生まれてきたって、

本気で考えてるのかなーと思うわけです。

(サルのお主が言うか)

などと書きながら・・・、

今日の晩ご飯は何を食べようかなと、

考えている拙者であり、

(お主の今日の晩ご飯は、氷だよ)

やたらと、スーパーに並ぶ、

バナナの糖度が気になります。

(バナナは、おサルキラー)

クヨクヨしない考え方

まー、ようするに、

人間に生まれたということは、

楽な生活をするという、

スケールの小さい目的ではなく、

己を磨くためではないでしょうか。

そういう生き方って、

人間にしかできないからですねー。

(お主はサルだからなー)

ということになると、

己の人格を磨くことが目的ですから、

損得とか、勝ち負けなどという、

結果はどっちでもいいわけですし、

(結果が伴えば、さらにいいけどな)

損して落ち込み、得して喜ぶのではなく、

己の成長につながれば喜ぶという感じです。

まー、拙者なら、ドヤ顔の場面ですが、

例えば、孤高の天才といわれた、

元広島カープの前田智徳選手のように、

ホームランを打っても、

理想の打球ではなければ喜ばない。

と、同じようなことですねー。

ということは、

人生の目的は己を高めること。という人なら、

欲望というスケールの小さな価値観に拠って、

よかった、悪かったと評価されたとしても、

それに振り回されることはないわけで、

君さー、世のため人のために生きてる?

という質問に対する、評価や判断には、

しっかりと向き合えばいいわけです。

つまり、結果が出ると喜び、

結果が出ないと悲しむという、

そんな単純なことで、

一喜一憂することはないし、

落ち込むことはないということですが、

ということになれば、

例えば、いい暮らしをする、出世をする、

有名になるという価値観の人の話に、

耳を傾けても、

「いきるもくてきが ちがうんだもの」

と、思っていればいいわけで、

(相田みつをさんみたいになっとるがな)

「しあわせはいつも じぶんのこころがきめる」

と、思っていればいいわけですねー。

(もう、そのまんま、相田みつおさん)

まあ、

というわけで、

そんなことはいいとして・・・、

(いいんかい)

そもそも、拙者はサルなので、

落ち込むことなどないのですが、

(サルでも反省はできるよな)

先日、スーパーで、

最後のバナナが買えなかったことを、

今でも、時折、思い出しています。

(それ、落ち込んでんだろ)

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