自由と自由の違いについて

自由と自由

間違いではありません。

何が?というと、今日のタイトル、

自由と自由の違いについてです。

そんなことより・・・、

この内容で書こうとしてるけど、

あまり書く時間もないうえに、

長い文章になりそうで後悔している拙者です。

(知らんがな)

という話は横に置き・・・、

とりあえず、自由というと、

みなさんはどんなイメージを

持っていますでしょうか?

自由といえば

自由とは、辞典などによると、

心のままとか、思うようにふるまうとか、

束縛や制約がない状態という感じですねー。

また、レベッカさんのオリーブって曲には、

テレビもー 冷蔵庫もー

新聞もこないかわーりに 門限もーないわ

自由って こんなーものねー♪

いう歌詞があったり、

また、尾崎豊さんの卒業には、

逆らい続けー あがき続けたー

早く自由になりたかったー♪

という歌詞が、あったりしますが、

ようするに、己の思うように、

また、心のままにふるまうために、

まわりの束縛や制約を無くしていくことで、

自由に近づいていく。という感じでしょうか。

また、憲法にはさまざまな自由権があります。

思想・良心の自由とか、学問の自由、

表現の自由、職業選択の自由とか、

居住移転の自由や、国籍離脱の自由など、

ま、「自由権の濫用はいかんよ」と、

12条で釘を刺されてはいるものの、

いろんな自由があるものですねー。

自由を得るには

思うようにふるまえるとか、

束縛も制約もないという状態は、

確かに自由ですよねー。

ま、拙者なども、

こういう状態が続くといいなー。

と思いますし、

(お主はある意味自由だろ)

こんな状態で生きていけるなら、

サイコーと思うわけです。

(お主はただの変わり者だろ)

ま、拙者の場合、そもそも世間から、

相手にされていませんので、

自由といえば自由なのですが・・・、

(だろうなー、さみしいなー)

そんなことはさておき、

(置いておいていいんかい)

自由になるには、どうすればいいか?と、

ここで、考えてみると、

2つの選択肢があると思うわけです。

それは、まわりの力も借りて自由を得ることと、

もうひとつは、己で全部やるという選択肢です。

まー、多くの人は、

まわりの力も借りて・・・。という

選択をすると思いますが、

でも、無理なことですよねー。

そもそも、自由を得るために、

協力をしてもらうなら、

こちらも相手に協力しなければならず、

相手にばかり犠牲を強いるわけにいきません。

まー、世の中というものは、

バランスで成り立っているわけですから、

あちらを立てれば、こちらが立たないもので、

こちらも自由、相手も自由というのは、

難しいことですから、

己だけ自由というのは無理な話です。

じゃあ、己の力だけで全部やるのか?

というのも、無理なことですよねー。

(どういうことだよ)

例えば、両親がいるから己がいるし、

己がいるから、両親は親になれたというように、

人は互いに影響を与え合って、

生きているわけですから、

何事をするにも、一人ではできず、

人と人との関係を無くすことはできません。

人との関係を無くせないということは、

ようするに、己の力だけで全部やるなんて、

できないということです。

(結局、できないのかよ)

他人に協力を仰ぐ、

または、己の力だけで全部やる。

この2つとも無理だとしたら、

人間は、自由になれないの?

ということになりますが、

まー、そういう状態だから、

「俺様は自由だよ」という人が、

なかなか世の中にいないわけですねー。

(お主、開き直ったな)

ま、拙者のように、

そもそも世間から相手にされなかったり、

また、ドラえもんの道具、

「石ころぼうし」を使えば、

道端の石のように相手にされなくなるので、

自由には、なれますけどねー。

(自由って、それでいいのか?)

自由でない状態とは

とりあえず、

自由をどう実現するかについての検証は、

暗礁に乗り上げてしまいましたので、

(そうだな)

次に、どういう状態が自由ではないかを、

少し検討してみたいと思います。

(さっさとやれ)

自由とは、先ほども書きましたが、

心のままにふるまえる状態であり、

束縛や制約がない状態ということでした。

ということは、その逆が自由でない状態。

つまり、束縛され、抑制や制約された状態が

不自由な状態ということですねー。

ていうか、不自由な状態って、

人間にとっては苦しいものなのに、

なぜ、人間は束縛されたり、

制約をされたりしてしまうんでしょうか?

ま、自由になりたきゃ抜け出すか、

拙者のように嫌われればいいわけです。

(嫌われるのはお主だけでいいよ)

束縛や制約から、

抜け出すことができない原因は、

ようするに損得や利害という欲ですねー。

束縛や制約を受けても、利害があるから、

「ま、我慢するか」となるわけで、

利害はないけど、束縛や制約だけはあるという、

そんな素敵なところであれば、

じゃーねーと、すぐに抜け出すはずです。

まー、「人間を苦しめる根源は我欲」と、

昔から相場は決まっています。

我欲、すなわちエゴのことであり、

煩悩ということでありますが、

人間は欲があるから、

欲を満たしたいと考え、行動をするわけですが、

欲を満たしても、まだまだあの人に比べたらー。

などと苦しみ、また、満たせなければ、

思うようにならないー。と、

なんだか、いつも行動して、

苦しんでいるわけですよねー。

ま、その状態を言いかえると、

欲に束縛されているということであり、

行動は制約を受けているわけですから、

つまり、自由ではないわけです。

ようするに、

我欲に束縛され、制約を受けている以上、

自由にはなれないということです。

欲が自由を遠ざける

まー、欲があるのが人間ですが、

欲に束縛されず、制約も受けない程度に、

我欲と距離を取ることができれば、

それだけ自由になることができます。

例えば、〇〇するべき。

という思考に束縛されると、

自分の行動も○○するべきとなりますが、

その行動を他人にも、望むようになります。

そしてそれができない人を見ると、

腹を立てたり、イライラするわけですが、

〇〇するべきと距離を取ることができれば、

己の行動も束縛されず、

またできない人を見ても、イライラしません。

つまり、〇〇するべきから解放されただけ、

自由になれたということであり、

ドラえもんの自由帳には、

なんでも書いていいよ。ということですが、

(どういうことだよ)

ようするに、我欲に対する対策をせずに、

自由を実現しようとしても、

永遠に自由にはなれませんよー。

ということになるわけです。

ということになってくると、

自由を得るには、己の力で全部できる。

ということになるわけですねー。

自由になるには

我欲があるから、

こだわりや執着に変わるわけですが、

持っているこだわりや執着が多いほど、

人は束縛をされ、

制約を受けてしまうものですねー。

そういう状態は自由ではありませんが、

反対に言うと、束縛と制約の原因を取り除けば、

誰でも自由になれるということです。

一般的には、我欲を持ったまま

自由になろうとしますが、

自由とは本来、束縛と制約のない状態であり、

そこから離れて、

心のままに選択できる状態のことです。

我欲を持っているということは、

我欲に束縛され、制約を受けているわけです。

また、我欲を満たせる状態が、

自由なんだと勘違いしていても、

自由にはなれませんねー。

選択肢が多ければ多いほど、

人は自由を感じるものです。

つまり・・・、

ドラえもんの自由帳は、自由で溢れている。

ということですが、

(何の話だ)

ということになると、

束縛と制約の原因を少なくすればするほど、

選択肢が増えるので、

自然と自由になっていくわけですねー。

自由とは、利害や損得という我欲から、

離れたところにあるので、

おかしいと思うことは、おかしいのでは?

と、冷静に言えるし、

己の保身を考える忖度をしたり、

己の利益を考え、従順なふりをするという、

本音と建前の使い分けは必要ないわけですが、

そうなるには、

我欲と距離を取ればいいわけです。

我欲と距離を取った人。

そんな人のことを、自由人といいますが、

そう考えてみると、

拙者もなかなかの自由人でござるなー。

(お主は自由人じゃなく、相手にされない人だろ)

※次回の配信は8日金曜日です。

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