愚か者と賢者

愚か者

一般的に愚か者というと、

拙者のような者のことになりますが、

(そうだな)

まあ、言ってみれば、

勉強や仕事ができないとか、失敗をするとか、

へタレとか、へタレとか・・・、

そんなイメージでしょうか?

(へタレはお主の代名詞)

ま、愚か者のイメージというのも、

それぞれ色々あるでしょうが、

賢者が語る愚か者とは、

一般的なイメージとは、少し違うようです。

無知の知

仏教で愚か者といえば、

例えば、仕事ができないとか、失敗したとか、

品がない人のことなどではありません。

まー、そういう人も含まれますが、

そういう枝葉の話ではなく、

もっと問題の根源に焦点を当てています。

仏教でいう愚か者とは、

己が愚か者であるのに、それがわからない人。

ということです。

同じような話で思い出すのは、

ソクラテスさんの無知の知ですねー。

無知の知とは、例のアレです。

各方面で評判の人とお話ししたけど、

己の知識が不完全だと思う人はいなかった。

だけど、ソクラテスさんは、

あちきは完全じゃないって思ってるよ。

じゃあ、成長の可能性なら、

あちきの方があるじゃない。

(拙者の超訳)

みたいな感じのやつです。

最近は、無知の知って言葉はおかしい。

という説もあるみたいですが、

ま、己の求道には関係ないことだし、

言葉を論じるのは学者さんに任せて、

ここではスルーしますが、

そういうことも含めて、

今回は詳しく書きませんので、

興味がある方はお調べくださいませ。

(結構、書いてるじゃねーか)

知ってるつもり

これを知るをこれを知ると為し

知らざるを知らざると為せ

という、孔子さん(論語)の言葉があります。

知っている事は知っていると知り、

知らない事は知らないと知ること。

これが本当に知るということだからねえ。

(拙者の超訳)

という感じでしょうか。

例えば、己が知っていることは、

きちんと理解できているなと認識し、

趣味やセミプロの域という程度なら、

まだ知らない。ということです。

ま、拙者、関口宏さんが司会の番組、

「知ってるつもり」は好きでしたが、

ようするに、

知ってるつもりと知っているは違う。

というわけですねー。

(お主は完全に知ってるつもり)

知行合一

ていうか、

知ってるつもりと知っているは違うって、

当たり前だと思いますが、

それを分ける境界線って、どこなんでしょうか?

突然ですが、

銀座で30代の女性100人に聞きました!

(クイズ100人に聞きました?)

答えは6つ。

(ていうか、6つもあんのかよ!)

知ってるつもりと知っているは何が違って、

どうなると、きみー、知ってるじゃない。

と、なるのでしょうか・・?

という感じですねー。

(知らんがな)

知識は「できる」まで昇華させて、

はじめて活きてくるものだと、

拙者は考えております。

つまり、知行合一です。

もし、知識を知ってるだけで、

賢者になれるなら・・・、

まあ、拙者、

そもそも、まともに定職にすら、

ついておりませんが・・・。

仕事を投げ出し、

今からでも藩の図書館に通い詰め、

朝から晩まで書物を読みたいと思うわけです。

(そもそも、読み続けることができないだろ)

まあ、拙者的には、

あるあるあるある!という感じですが、

読み続けることができないと言われると、

ブッブー!とブザーを鳴らされ、

赤い×が書かれた、

プラカードを持たされてしまいそうです。

(早く、トラベルチャンスにいけよ)

ま、そんなことはさて置き・・・、

「机上の空論」という言葉があるように、

知識を頭に入れただけで、

できることなどほとんどないし、

また、己が体験していない分野で、

人を導いたり、人の役に立とうとするのは、

相手に対して無責任なことですよねー。

つまり、知っているとはできること。

もしくは、百歩譲って、

できるよう日々、精進している。

ということになり、

ようするに、知ってるつもりと、

知っているの違いは、

知識だけか?行動が伴っているのか?

ということになるわけです。

愚か者とは

ですが、いくら、

体験していることが大事だよ。といっても、

間違った目的地を見て、

間違った体験を重ねても、

賢者には近づいていきませんから、

当然ですが、体験していれば全部OK!

とは、なりませんよねー。

まー、無知の中で考え、行動しても、

無知な人が歩く道しか歩けないので、

当然といえば、当然です。

正しい場所が見えない、

正しい努力ができない状態のことを、

仏教では無知といいます。

ようするに、正しい場所が見えず、

正しい努力ができない人が愚か者。

ということになるわけです。

ということになってくると、

勉強や仕事ができないとか、

失敗をするから愚か者。とはなりません。

正しい場所を見て、正しい努力をしていても、

できなかったり、失敗もするからです。

ようするに、賢者とは、正しいことを知り、

正しいことが確かに正しいと、

己の経験を通して、理解できた人であり、

また、それができる人。

ということになるわけです。

そのように考えてみると、

知ってるつもりは愚か者。

知識が完璧であっても、

結局、行動ができないなら、

完全に知っているとは言えないので愚か者。

失敗を責める人も愚か者。

そして、己がサイコー!などと慢心し、

努力を忘れた人も愚か者。つまり・・・、

本当は愚か者なのに、

その愚かさが見えない人が愚か者。

ということになるわけですねー。

そういえば・・・、

拙者のまわりには、失敗を責める人たちがいて、

だからお前はダメなんだ。と

いつも、教えていただいておりますが、

こういうのが、

「ルイは友を呼ぶ」っていうのかなー。

と考える、今日この頃です。

というわけで・・・、ルネッサーンス!

(ルイじゃなくて類な)

(そして、山田ルイ53世さんも関係ない)

※6月より、4日に1度の更新に変更します。

よろしくお願いいたします。

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