自分勝手な人と人の目を気にする人

人の振り見て

人の振り見て我が振りなおせ

という、言葉がありますねー。

誰かのいいところを見習ったり、

誰かのよくないところを見て、

己を振り返ったり、改めようとするのは、

非常に素晴らしいことですが、

あまり人のことを気にし過ぎると、

逆に、どうにもならなくなるものです。

(お主は少し気にしたらどうだ?)

まー、拙者の場合、

己を磨くことも大事なことですが、

それよりも、他人を磨く立場にいるのだと、

自負しておりますので、

(ほー、ずいぶんと勘違いを・・)

人の振り見て我が振りなおせというより、

反面教師という生き方を貫いているわけです。

(お主、反面教師の意味、知ってるか?)

誰と向き合っているか

まー、そんなことは横に置き、

(いいのか?横に置いて・・・)

自分勝手な生き方というのも、

なんだかなーという感じですが、

人の顔色を気にし過ぎて生きるのも、

やっぱり、なんだかなーという感じです。

自分勝手に生きれるということは、

受け止めてくれる人がいるからであり、

ようするに、まわりのおかげさま。

なんだか、人ごとではありませんが、

つまり、まわりに甘えているわけです。

(お主の場合、人ごとじゃないよなー)

それに加えて、

人の顔色を気にし過ぎるというのも、

己が主体の生き方ではありませんが、

そのように考えてみると、

自分勝手な生き方にしても、

人の顔色を気にし過ぎるのも、

向き合っているのは己ではなく、

どちらも他人、ということになるわけです。

まー、言ってみれば、

己の人生なのに、己と向き合わず、

他人と向き合うのって、どういうこと?

という感じです。

(お主がまず、己と向き合おうな)

あせるな いそぐな

あせるな いそぐな ぐらぐらするな

馬鹿にされようと笑われようと

自分の道をまっすぐゆこう

時間をかけて磨いてゆこう

という、坂村真民さんの言葉がありますが、

己の人生って、己しか歩けないわけですから、

まずは、ぐらぐらせずに、

己の道を歩ききろうぜということですねー。

己の未熟さを世間様に磨いてもらうためには、

己と向き合わなければなりませんし、

また、己の人生も歩けません。

そういうことになると、

己と向き合わない人生とは、誰の人生だ?

ということになりますが、

誰の人生かわからないって、

あまり面白くなさそうな人生ですし、

そんな人生だと、ストレスもたまります。

まー、ようするに、

二宮和也さんのお母さんの言葉のように、

ストレスためずに金ためろ。

ということであり、

(お金をためろという言葉ではない)

馬鹿にされても、笑われても、

自分の道をまっすぐ行こうや。

ということですねー。

自分の道をまっすぐゆこう

己の人生を歩くことができないと、

他人の人生は尊重できません。

なぜなら、己が己の人生を歩いているから、

同じように人生を歩く人の

気持ちがわかるわけであり、

「共に頑張ろうや」と、背中を押せ、

エールを送れるわけですねー。

つまり、他人の人生が尊重できる人とは、

自分の人生を歩いている人。

ということになるわけです。

己の気持ちと向き合い、己の人生を歩き、

そして、他の人生も尊重できる人を見ると、

「そういうものに わたしはなりたい」と

宮沢賢治さんの、雨ニモマケズ風に、

言いたくなりますが、

この世から己の命が尽きるとき、

自分勝手に生きてきた人とか、

人の顔色を気にし過ぎて生きてきた人が、

何を感じて旅立つのかな?と考えてみると、

拙者は、旅立つ時が来るのが、

怖くて怖くて仕方がないのでござる。

(お主も「そういうもの」に、早くなろうな)

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