楽天家と悲観論者

今晩も歯ぎしり

環境が人生を決めるのではなく、

その人が人生を決めている今日この頃ですが、

いかがお過ごしでしょうか?

まー、拙者など、

毎日ため息をつく人生であり、

なにか悔しいことが起きるたび、

あー、今晩も歯ぎしりでござる。

と、思うわけですが・・・。

まあようするに、

コンビニの店舗数より、

歯医者が多くてよかった。

と、思うわけです。

(歯ぎしりをしなくて済む人生を歩けよ)

人生を決めるのは自分

ウィル・スミスさんが主演する、

「幸せのちから」という、

クリス・ガードナーさんの半生を描いた

映画がありますねー。

拙者の場合、

幸せの・・・といえば、パンケーキですが、

それはさておき。

(とりあえず、似合ってない)

「幸せのちから」って、

人生を決めるのは自分だよね。

ということを感じる作品のひとつですね。

人生を決めているのは自分。

ということになると、

今、幸せじゃないすべての理由を、

環境や他人の責任にすることはできませんが、

ていうか、拙者。

環境や他人の責任に、

したくてしょうがないのですが・・・。

まー、冷静になると、

歯ぎしりをしない人生ではなく、

歯医者に通う人生を選んでいるのは拙者。

ということであり、

もう甘いパンケーキはやめなさい。

ということになるわけです。

(原因はパンケーキじゃなく、歯ぎしり)

楽天主義?悲観主義?

楽天家は困難の中にチャンスを見い出し、

悲観論者はチャンスの中に困難を見る。

という、ウィンストン・チャーチルさんの、

言葉があるようです。

楽天家って、困難であろうとなかろうと、

いつも出来事を楽天的にとらえ、

悲観論者はチャンスにかぎらず、

いつも悲観的に、

出来事を見てしまうものですねー。

いつも悲観的に考えていると、

当たり前ですが、悲観的な時間を過ごし、

そして、悲観的な1日を過ごし、

やがては、悲観的な人生になったり、

また、歯ぎしりをする人生に、

なってしまいます。

(歯ぎしりは、お主だけ)

また、逆に、

いつも楽観的に考えているというのも、

思うようにならないのが人生と考えれば、

それでいいんかい?という感じであり、

それはそれで、イタい人です。

困難の中でチャンスを見つけろ!と、まで、

いかないとしても、

せっかくチャンスが来ているのに、

でもー。だってー。どうせ、むーりー。

というのは、やめーや。という感じであり、

あーあ。という感じで、

とても、勿体ないわけですよねー。

だからといって、

悲観的な考え方が悪いとか、

楽観的がいいということではなく、

どちらかに偏るのがよくないわけで、

ようするに、バランスの問題だと思うわけです。

バランスを取る

つまり、基本は楽観的に考えつつ、

悲観的なところも合わせ持つことが、

中道ということであり、

バランスがとれているということです。

ま、拙者は、

片足で立ってみてください!どころか、

両足でもふらついておりますし、

(みなさんに助けていただきなさい)

というより、人生もバランスを取るどころか、

フラフラですが、

そんなことはさて置き、

(さて置いてる場合か?)

こだわりや執着が少ないほど、

バランスって、取りやすいわけですねー。

なぜかというと、例えば、

「こうしたい!」という執着や、

「○○するべき!」というこだわりが

強ければ強いほど、

自分の思うようにならなかったときに、

「あー、悔しい!」

「あー、今晩も歯ぎしりでござる」

ということになるわけですから、

(歯ぎしりはお主だけ)

歯医者に行かねばならなくなる。

ではなく・・・、

「こうしたい!」という

執着やこだわりが残っている以上、

考え方がその方向に偏り続けるので、

バランスを取ることが、難しくなるわけです。

ですが、こだわりや執着と距離を取り、

まー、いいかと思えることが増えると、

そう、思えただけ、

偏りが少なくなるわけですから、

だんだんと、真ん中によって来て、

楽観的とか悲観的という考え方も、

どっちでもよくなってきます。

ようするに、こだわりや執着を持ったまま、

バランスをとることは難しいので、

まず、荷物を降ろして、

バランスを取りやすくしませんか?

ということですねー。

(まず、お主がしなさい)

こだわりと執着の正体

こだわりや執着の正体は、

ようするに我欲です。

つまり、我欲が元になり、

こだわりや執着に変わるわけです。

どういうことかというと、

例えば、寂しいのは嫌だ。

という我欲があると、

滝に打たれて修業ではなく、

だいたいは、その寂しさを、

どう埋めようか?と考えるわけです。

(お主は打たれてみたらどうだ?)

ま、埋め方は恋愛であったり、

趣味であったり、いろいろあると思いますが、

恋愛にしても趣味にしても、

はじめた動機が、好きだからではなく、

寂しさを埋めたいから。

ということになるわけですねー。

当然ですが、

寂しさを埋めるために異性を求めることと、

一般的に考える恋愛は違いますし、

好きだからやってる趣味と、

寂しさを埋めるための趣味も違いますが、

それが寂しさを埋めてくれれば、

その恋愛や趣味に執着してしまうわけです。

まー、ようするに、

寂しいの?好きなの?という感じで、

最初からもう、ややこしいわけですが、

我欲を元にしたこだわりや執着が、

人の行動を支配し、自由を奪い、

そして環境もつくっていくので、

己を苦しめる大きな要因って、

環境より、むしろ、

我欲を元にした、己の考え方の偏り。

ということになるわけですねー。

つまり、まとめてみると・・・、

我欲という荷物を少なくすることで、

ま、いいか。を増やし、

ま、いいか。が増えると、

楽観的、悲観的という考え方の偏りや、

執着やこだわりも減ってくる。

そうなると、

あれ?人生を決めているのって、

環境じゃなくて、自分の考え方だよね。

と、思えてきて、最後は、

歯ぎしりという苦しみもなくなる。

ということですが、

なぜか拙者は、歯医者の予約が途切れません。

(もう、総入れ歯にしろよ)

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