怒りについて、ざっくりと

怒りという感情

怒りという感情は、

非常に悩ましい感情です。

よく怒る人のことを、

瞬間湯沸かし器などと言ったりしますが、

拙者は、湯沸かし器とまではいかなくても、

瞬間的にイライラすることなど、

日常茶飯事ですねー。

(明るく言ってる場合か)

人間は無限に煩悩があると言われますが、

その中で、最も手強い煩悩が怒りです。

だからといって、

じゃあ、仕方ないよねー。では、

あまりに智慧がなさすぎるわけですが、

拙者、ただ今怒りに連敗中です。

(そういう、お主がいうなよ)

悪口にも平常心

あなたを悩ましたり悪口をいう人にも

平静な心で注意を向けなさい。

きっとあなたにとって、

得るところがあるはずです。

良薬が口に苦いように、

あなたに偉大なる存在が、

苦言を呈しているかもしれないからです。

という、

ジョセフ・マーフィーさんの言葉が

あるようですが、

そうは思っていても、

なかなかそのようにできないものですねー。

拙者など、何もないときでも

そのようにできないわけですから、

悩まされたり、悪口をいわれると、

すぐに、キーという感じになります。

(そういえば、お主はサルだったな)

まー、悪口はともかくとして、

怒りという感情を横に置いて、

冷静に考えてみると、

誰からも何も言われないというのは、

それは、寂しいものでしょうねー。

そう思うと、苦言であっても、

己のためにと、指摘してくれるというのは、

本当にありがたいことだと思うものだし、

平静な心で聞くどころか、

むしろ感謝して聞くことだと思うわけです。

そして、それができるようになると、

その次は、悩まされたり、悪口を言われても、

平常心でいれるようになっていくわけですねー。

(まず、お主がそうなれよ)

その場しのぎと根本的

何事もそうだと思いますが、

起きた後に、その場だけなんとかしようと、

一時的な対処をすることは、

すでに、後手に回っているわけですし、

根本的な原因が解決してないわけですから、

いつまでも同じようなことが起き続け、

苦しみが続くものですねー。

例えていうなら、

怒ったときに気を紛らわしたり、

忘れようとする方向に向かうのが、

一時的な対処法であり、

そもそも、怒らないようにするため、

常に穏やかに心を整えるとか、

また、一瞬は怒っても、

行動を支配されず心を整えれることが、

いわゆる原因に対する対処法ですねー。

まー、だけど、怒りは手強いので、

両方が必要だと思うわけですが、

拙者はもう、一時的な対処法に、

興味がありませんので、

そこらあたりは、横に置いておき、

(それではもう、限界なんだろ)

今日は原因に対する対処法を、

ざっくりと書いてみたいと思うわけです。

(書いてる場合かよ)

怒りの原因

怒りの原因は簡単に言うと、

己の「ものの見方」です。

ものの見方、こだわり、基準、自分のルール。

などと、いろんな言い方がありますが、

ようするに、それらを元にして、判断し、

違うよねー?という状態になると、

怒りに変わるわけです。

ま、簡単にいえば、

「自分が正しいと思っている」から、

怒るわけですねー。

ま、そういうことですから、

己にもまわりにも出来事にも怒ります。

もう、ようするに、激おこぷんぷん丸です。

(何がだよ)

という感じで考えてみると、

同じ出来事であっても、

それぞれ受け取り方が違うのですから、

出来事が人を怒らせるわけではない。

ということになり、

反対に、己は愚か者である。とか、

己だけが絶対に正しいわけではない。

と、思っていれば怒らない。というか、

怒れない。ということになります。

まー、この愚か者ですが、

例えば己を否定したり、己を卑下して、

私は愚か者だ。と思うのとは全く違います。

私は尊い存在だが、

その私は一人では生きていけない。

という愚か者であり、

その私はおかげさまで生きているし、

私も誰かのおかげさまになっている。

ということを知る愚か者です。

愚か者とは

どういうことかというと、

例えば、たくさんお金を稼いで成功しても、

己の能力だと考えるのではなく、

己一人では何もできなかった、

全ておかげさまと考えれる。

どの世界でも同じことなのですが、

例えば、スーパーであれば・・・、

お客さんが来てくれたから。

共に働く仲間がいてくれたから。

電気、水などが使えたから。

お店を建ててくれたから。

売る商品をそれぞれが作ったり、

調達してくれたから。

商品をお店に運搬してくれたから。

レジなどの備品を作ってくれたから、等々、

ま、これぐらいでやめておきますが、

お店の努力も大事な要素だけど、

お店の努力だけでは、

稼ぐことはできないということです。

加えて、さらに、

店にある商品ひとつひとつにも、

いろんな人の力が、

同じだけ加わっているわけですから、

まー、言ってみれば、

俺の腕がいいから、患者は助かったんだぜ。

俺がここで決めたから、勝てたんだぜ。

みたいな人とは、

見ているところが違うわけです。

(何について言ってるんだ?)

ま、その反面、

スーパーのおかげで、商品が買えた。

スーパーのおかげで、

仕事ができ、生活ができる。というように、

役に立っていて、つまり、持ちつ持たれつ。

ということですが、

こんな感じで考えてみると、

人間は、一人で何もできない愚か者。

ということになるわけです。

というより・・・、極論を言うと、

そもそも地球という台地がなければ、

生きることすらできないのが人間ですから、

己が優秀で、能力があるからこうなれた!

というあなた。

つーか、拙者のことですが・・・、

(やっぱりお主のことかよ)

じゃあ、

俺の腕がいいから、患者は助かったんだぜ。

俺がここで決めたから、勝てたんだぜ。

という結果を出すために、

何から何まで己の力だけでやったのか?

と、ツッコまれてしまうわけです。

(お主がお主に、ツッコむなよ)

まー、そう考えてみると、

俺は優秀で能力がある。

その俺の足を引っ張るやつは、愚か者だ。

という論法って、どっちが本当の愚か者?

ということになるわけですねー。

(とにかくお主は愚か者)

感謝を知ると怒りはなくなる

てな感じで考えてみると、

感謝を知る人は、怒らない。

ということになります。

というより、人間は、己一人の力だけで、

生きてはいけない存在なのですから、

怒らないというか、怒れないわけですねー。

ま、怒るのは愚か者の証拠。

なんていいますが、確かに怒らなくても、

議論も批判もできるわけです。

(お主の得意なのは、否定と非難だよな)

拙者も数々の失敗をして、

世の中に迷惑をかけ続け、

こうして生きておりますが、

こういうことが理解できるようになってからは、

人の失敗を見ても、

まー、しゃーない。次うまくやろう。

としか、言えなくなりました・・。

(嘘をつくな)

などと、エラそうに言っておりますが、

拙者、嘘をついておりました。

(やっぱり・・・)

本当は「キー!」と怒っております。

(あ、サルだったよね)

まー、動けと命令してもないのに、

心臓は年中無休で動いてくれてますが、

体のおかげさま。というのも、

生きている理由のひとつですねー。

そして、体は医学の力では、

自由にすることはできません。

(できたら果てしなく高齢化社会)

そういったことにも目を向けてみると、

ありとあらゆることが、おかげさまで、

「己だけの力」と、なぜ言える?

と、思うわけですが、

そういうことに目を向けず、

己の力だけで生きているぜー!という、

勘違いが好きな拙者であり、

(まさにサル知恵だな)

そういうことに目を向けないから、

感謝ができず、世の中にお返ししよう!と、

思えない拙者であるわけです。

(他人ごとかよ)

怒りとうまく距離をとる

まー、ようするに、

「己が正しい」という勘違いをするような、

ものの見方が、怒りを生み出す原因。

ということになるので、

怒りが起きた後にする、

テクニックだけを学ぶのではなく、同時に、

怒りを持たない心をつくることも、

学んでみてはいかがでしょうか?

という話です。

怒りそうになったり、怒ったりしたら、

「怒るのは愚か者の証拠」と、

心で思うだけでも、

心が徐々に変化していきますし、

以前なら怒ったり、イライラしていたことが、

以前ほど、とらわれなくなったら?

と、想像してみると、どんな感じでしょうか?

穏やかで、豊かな毎日だと思うし、

結局、一番恩恵を受けるのは自分ですよねー。

まー、人は一人で生きれない。

ということが見えてくると、

怒りから徐々に解放されるわけですが、

拙者はサルだけに、意馬心猿でごザルなー。

(ごザルなー。じゃねーだろ)

※意馬心猿(いばしんえん)

欲望を抑えられないこと。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする