なぜ、ありのままが怖いのか?

ありのままって?

ありのままに己を出すというか・・・、

まー、そこまで硬くなくても、

いってみれば、自然体ということですが、

己を抑えて生きるより、どちらかというと、

自然体で生きる方が、単純に楽しそうですね。

その反面・・・、

そうかもしれないけど、

自然体で生きることが怖い。とか、

自分のありのままが嫌い。とか、

ありのままなんて綺麗事よ!

大人って我慢するものよ!

などと、考えている人もいるようです。

(最後のはなんだよ)

結局、個性を出すのが怖いとか、

そもそも自分が嫌いだとか、

ありのままなんて綺麗事だと、

思ってしまうのは、

向かっている方向が違うからであり、

見ている方向が違うからであり、

努力の方向が違うからなんですねー。

(どういうことだよ)

そもそも、向かっている方向が違い、

見ている方向も違い、努力の方向も違うのに、

自分のありのままが好きです♡

なんて思われると、

拙者、旅に出たくなるものですが、

(もう帰って来るなよ)

見る、向かう、そして努力の方向が、

ありのままにつながってないわけですから、

自然体怖い。嫌われるかも。綺麗ごとよ!

と思うのが、当たり前なわけですねー。

欲に支配されてしまう弊害

自然体怖い。嫌われるかも。綺麗ごとよ!

と、思う人が見ているものは欲です。

欲といっても、我欲。つまりエゴです。

まー、つまり、

遊びを通じて学び、成長し、

豊かな想像力を育む。という感じですねー。

(それはエゴじゃなくブロックのレゴだろ)

つまり、己のエゴを満たそうと考え、

つい行動してしまいそうな人は、

自然体でいると、迷惑かけそう。嫌われる。

などと考えるのは当たり前ですが、

己の行動や思考が、

世のため人のためという人は、

少なくとも、自然体で生きることで、

迷惑かけそう。嫌われる。とは、

思わないものです。

まー、エゴに支配されると、

エゴを満たすということが、

興味の対象になるわけですから、

行動や思考も、

エゴを満たそうとするのは当たり前です。

そうなると、ありのままが、

わがままになりますから、

自然体で生きようとは思えないですねー。

人の顔色が気になる

エゴを満たそうという、

思考や行動を積み重ねていくと、

人の顔色が気になるものです。

あ、いろいろ積み重ねたら、お城ができた。

みんな、いいねっていってくれるかなー。

という感じです。

(それはレゴのことか?)

まあ、社会のため、己のためになるなら、

顔色を気にする必要はありませんが、

人の顔色が気になってしまうのは、

見る、向かう、そして努力の方向が、

なんとなく違うことがわかっていて、

後ろめたいのかもしれませんねー。

つまり、拙者のような者が羽目を外すと

拙者は、エゴに一番興味があって、

1日で考える事が多いのはエゴでーす。

そして、隙があればエゴを満たそうと

行動してまーす。

という、人間性が出てしまうので、

つい、人目が気になってしまうわけです。

ま、言い方を変えると、

目線が気になる生き方しかできてない。

ということですねー。

(ですねーじゃなく、お主のことだろ)

うーん。

そろそろ拙者も、拙者ではなく、

江戸のたくわんメンバーと呼ばれる日が、

近づいているかもしれません。

(江戸とか、メンバーとかやめなさい)

(つーか、お主には忖度はいらんよな)

自然体とは

自然体とは、頑張るものではありません。

拙者など、頑張ってしまうと、

THEガンバルマンに入ることになり、

熱湯コマーシャルをするダンカンさんじゃなく、

熱湯コマーシャルをするたくわんになります。

(スーパージョッキーをご存知ですか?)

ま、ようするに、

自然体とは、自然体だから、

自然体なんですねー。

(当たり前だろーが)

ということは、

頑張ってするありのままというのは、

実際にはあり得ないわけで、

ありのままとは、ありのままだから、

ありのままなんですねー。

(当たり前だけどしつこい)

ということになると、

見る、向かう、そして努力の方向などを、

整えることができれば、

自然体を出してもいいかなって、

思えるんじゃない?ということであり、

自分が嫌いとか、なくなるんじゃない?

ということであり、

ありのままで生きれるんじゃない?

ということですねー。

(なら、一番にお主がやれよ)

エゴと距離をとる

まわりの評価を気にして、常に一喜一憂し、

自分を苦しめている人がいるが、

そういう人は病気をありがたがって、

体の中で大事にしているようなもの。

というような、

老子さんの言葉がありますが、

このように、普通に生きているだけでは、

エゴという病気に染まってしまい、

評価を気にして、生きてきたのが拙者です。

(反省だけなら、サルでもなあ)

ですので「拙者って素敵」と思えたら、

まわりの評価を気にして、

一喜一憂することはありませんねー。

(お主の場合は思えても勘違いだろうな)

まー、拙者のように、勘違いした、

痛いうぬぼれ屋に、ならないためには、

きちんとした智慧が必要ですし、

エゴと距離をとることが大事です。

(明るくいってる場合か)

つまり、エゴと距離を取るには、

正しいものを見て、エゴを見ず、

エゴを満たすことを目的にして、

エゴに向かっていかないように。

ということですね。

(まずはお主がやれ)

つまり、お金や権力が欲しいとか、

美味しいものをいつも食べたい。

有名になりたい、モテたいなどという、

己の欲望を満たすことばかりを、

目指して生きたり、

また、欲望を満たせる人が素晴らしい人。

と、勘違いしている人たちに、

誤って誘導されてしまうのではなく、

世のため人のため己のためと、

考えることができるのが人間であり、

また、賢者に続く道だと考え、

エゴを満たすことを第一にせず、

エゴと距離を取るわけです。

まー、自分がその立場になってみると、

わかると思いますが、

仕事をくれるのも人であり、

同性や異性にモテたりするのも、

同じく人が相手です。

自分、自分と考えるような人に、

あまり仕事をお願いしたくないものですし、

また、人気だって、人柄を整えれば、

勝手についてくるものです。

己の利を求めて、人柄を整えていくのは、

自然体では無理ですが、

ま、変な話、人柄を整えていくと、

それを求めているわけでもないのに、

自然体で仕事がもらえるようになったり、

人気になったりするわけで、

なんだか気が付くと、

多くのものを手にしているものです。

(だからお主にはないのか・・・)

人格を磨くのではなく、

エゴを満たしたいと、お金と時間を使って、

人を支配、コントロールする技を学んでも、

結局、満たされない人が多いから、

エゴを満たしたい系の本やセミナーなどが、

雨後のたけのこみたいに、

出てくるのでしょうが、

(お主の欲望みたいだな)

まー、本当に、世の中というものは、

うまくできているなと思うわけです。

まあ、そんなことはさて置き、

自然体で生きるには、どうしたらいいか?

と、日頃から考えたり、

学ぶことを積み重ねていくことで、

あー、お城ができた。ではなく、

(お主の場合は、あー罪つくっちゃっただろ)

ありのままで生きても、

怖くない日がくるということですねー。

おかげさまで拙者も、

ありのままって怖くない♡と、

最近、思えるようになりましたが、

(それはただ、空気がよめてないだけだろ)

なんだか、ありのままだと・・・、

まわりから、全力で嫌われております。

(己を偽って嫌われるよりはマシだが・・)

(つーか、お主は何にも見えてねーな)

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