あなたがたの中で罪のない者が、彼女に石を投げなさい。

凡夫が凡夫を裁く

聖書の中に、

汝らのうち罪なき者から、石をなげうて

という言葉があります。

(ヨハネによる福音書8章 1~11節)

この言葉は、

凡夫が凡夫を裁く限界についての

言葉ではないでしょうかー。

おおいに批判はやって、

お互いに切磋琢磨していくのはいいことですが、

世間・・・、特にネットでは、

ひでーなー。と、思うような言葉や、

非難や否定する言葉が書かれています。

まー、誰かを非難し否定する資格があるのは、

罪と縁がない神や仏レベルの人ですが、

誰かを非難する前に、己はどうなのだ?

と、我々は問われているわけですねー。

罪を犯したことのない者

この言葉が、どういう経緯で説かれたか?

ということを、少し説明してみると、

イエス様を貶めてやろうと一計を案じた、

ひでー学者たちが、

罪を犯した女性を連れてきて、

罪を犯したこの女は、モーセの法によれば、

石で打ち殺せとなっているが、

あなたはどう思うのか?と、

しつこく質問したそうです。

罪を犯した女性を許しましょうと言えば、

モーセの法に反します。

かといって打ち殺すことを認めれば

愛の人じゃねーし。ということになる。

うーん。ひでー学者たちです。

もう本当に、ランボー者ですが、

イエス様・・・、ピンチです。

その窮地で、言われた言葉が、

あなたがたの中で、罪を犯したことのない者が、

彼女に石を投げなさい。

という言葉だったわけです。

まー、ピンチだと思うのは、

拙者のような凡夫ぐらいということですが、

本当に試されたのは、イエス様でなく、

ランボー者の学者だった。というわけです。

(試されたのはお主もだよ)

あなたがたの中で、罪を犯したことのない者が、

彼女に石を投げなさい。という言葉を聞いて、

まわりにいた人は全て去っていき・・・、

つまり、ランボー者はいなくなったそうで、

最後に残った女性に対し、

わたしもあなたを罰しません。行きなさい。

と、言葉をかけられた。ということです。

怒りは一番手強い感情

人間生きてるといろんなことがあるわけで、

ムカッとしたり、イラッとすることも、

よくあることですねー。

というより、拙者・・・、

ムカッとしたり、イラッとしてばかりで、

拙者が、もう、ランボー者です。

(まあ、そうだろうなー)

人間の煩悩の中で、

一番手強いものは怒りです。

つまり人間は、怒りに対して心を整えることが、

一番難しいということになるわけですが、

それゆえに、

怒りをコントロールできない者は、

人間として未熟。と、言われるわけですねー。

(明るく言ってる場合か)

拙者は、他人を許せないし、

己も許すことができません。

また、怒りで我を忘れることなど、

いとも簡単にやりますので、以前書いた、

白隠禅師の逸話のようになかなかいきません。

(ランボー者だからな)

怒りとうまく距離を取ったり、

怒りを鎮めたり、手放したりすることは、

とても難しいことですが、

成熟した方なら、できるわけですねー。

この場面でも怒らないのかー。という人は、

手強い怒りを手放したということですから、

もう、この世で心を乱すことはないでしょう。

ということになります。

ようするに、ランボー者ではなくなった。

ということですが、

こんな感じで考えてみると、

怒りへの対応を見ているだけで、

人物鑑定ができますねー。

(お主の評価は果てしなく低い)

ま、とりあえず拙者も、

イラッとしたり、ムカッとしたりするたびに、

この聖書の言葉を思いだし、

その度に己の行動を振り返り、

怒りに心を乱されるのは未熟者。と、

己を戒めようと思います。

まあ、ようするに、

ランボー怒りの脱出ということですねー。

(お主の場合は、怒りからの脱出だろ)

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