後悔と死の恐怖

諸行無常

諸業は無常だといいます。

ようするに、すべては常に同じではなく、

変化していく。という意味です。

まー、拙者はよく人から、

「変わってるねー」といわれますが、

(まー、そうだろうな)

人は誰でも死んでいきますし、

形あるものも、色が変わったりと、

状態は変化していくものであり、

また、いつかは壊れたりするものです。

つまり、変わってるのは、

拙者だけではないわけですねー。

(お主の変わってると違うだろ)

今を生きる

人間は必ず老いていくし、

体は役目を終えると、死んでいくわけですが、

だからといって、

今から死を恐れていても仕方がないわけです。

そんなことより、

本当に恐れなければならないのは、

だらだらと、惰性で生きていくこと。

かもしれませんねー。

あー、ようするに、

拙者のように、だらだらと生きているなら、

少し考えてみては?ということですが、

(わかってるなら、お主がちゃんとしろよ)

つまり、拙者のように、

まー、生きてりゃいいのさー。

という、生き方ではなく、

この世にいる時間は有限なのですから、

今、この瞬間に生き、今、この瞬間を、

どうせなら、もっと楽しみませんか。

と、それがしは思うわけです。

(なら、お主からやれよ)

そうすれば、もっと毎日が楽しくなり、

人生がもっと濃くなると思うわけですねー。

(お主は顔は濃いけど、人生は薄いよな)

人生の長さ

人間にとって大切なのは、

この世にどれだけ生きたか?

ということではなく、

どれだけ価値のあることをするか?

ということである。

というような、

オー・ヘンリーさんの言葉があるようです。

長生きを目指すのもいいでしょうが、

ただ長生きを目指す生き方だけではなく、

誰かの力になれる生き方を目指す。

ようするに、

おせちもいいけど カレーもね♪

という感じですねー。

(ククレカレーかよ)

まー、他の生き物に比べて、

人間が長けているところというのは、

こういうところではないかと思いますが、

(お主が言うか?)

このように考えてみると、

誰かの力になれる人生に向かうことが、

人間の生き方だと思うわけですねー。

(お主もそうなれよ)

後悔と恐怖

偉大な仕事を遺した人が、

全て長生きだったわけではありません。

己を横に置き、己以外を心に入れて、

まわりの力になろうと生きた人は、

たとえ、短命であったとしても、

少なくとも、己のことしか考えず、

ダラダラとした拙者より、

よく生きたと思えるものでしょうし、

死の瞬間がきても、死の恐怖より、

「よく生きた」という、

充実感があるのではないでしょうか?

逆にいうと、

カレーは煮込むとおいしくなりますが、

拙者のようにダラダラと長く生きても、

死の瞬間に「よく生きた、拙者。」とは

思えそうにないわけですねー。

(明るく言ってる場合か)

ま、つまり、ククレカレーの勝ち。

ということです。

(ま、つまり、じゃねーわ)

「欲望を満たして悔いのない人生」

という、方向に進む生き方は、

己、己という未熟な生き方であり、

自分さえよければいいという、

わがままな生き方ですが、

そのことに一度、気がついてしまうと、

恥ずかしさや後悔しかありません。

(お主のことだな)

こういうことを考えてみると、

悔いなく生きようとすれば、

後悔なく死を迎えれそうですし、

死に対する恐怖も、軽減されそうですねー。

まー、だからといって、

毎日、ストイックに生きることもないし、

疲れたときは、生きてりゃいいさー。と、

切り替えることも大事なことですが、

(お主はそればかりだろ)

生きてりゃいいさー。の拙者は、

己で作らなくていい、

クックレスなカレーが大好きです。

(だから、お主はストイックに生きろ)

(つーか、ククレカレーってそういう意味かよ)

※読者のみなさまへお知らせ※

今後、当ブログは1日おきに配信します。

よろしくお願いいたします。

(手抜きしてるな、お主)

(かたじけない)

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