怒っちゃやーよ

怒り

怒り。

人の煩悩で最も手強いものです。

そしてまた、世の中は、

とても怒りを持ちやすい環境ですねー。

怒りを持ちにくい環境なら、

人間の煩悩で最も手強いもの。

とはならないものです。

あんまり書きたくありませんが、

人と人が顔を合わすと、いさかいが起きる。

という状態だったり、また、

表に出ていなくても、

心の中で怒ったり、イライラしたり。

それだけではなく、顔を合わさなくても、

ネットとかの書き込みなどや電話などで、

イライラしたり、怒ったりと。

「出物腫れ物 所嫌わず」

という言葉がありますが、

怒りについても、所嫌わずで、

時と場所を選びませんねー。

孟子の言葉

我が側(かたわら)に

袒裼裸裎(たんせきらてい)すといえども

汝焉んぞ能く我を汚さんや

孟子の言葉です。

あなたが拙者の横で裸になって、

拙者を侮辱しても、

「あなたって無礼者だねー」

ということのみであり、

拙者には何の関係もないでござる。

というような意味です。

まあ、ようするに、

あなたは拙者を侮辱したかったみたいだが、

拙者の心は何も動かないし、

あなたに汚されてしまうような

つまらない心を持っていない。

つまりあなたが、

無礼な態度をとったという事実だけが残り、

つまらない人間と評価されるのはあなた。

ということですねー。

つまり、怒るか怒らないかは己の問題だ。

怒った時点で、相手と同じになるが、

こちらが怒らなければ、

相手は未熟だという事実だけが残る。

ということであり、

侮辱なんかほっとけほっとけ。

侮辱されたぐらいで、腹立てんなよ。

ということですねー。

ま、言うなれば、

「怒っちゃやーよ」ということです。

(相手には、あんだって?で、いいかと。)

心の大きさ

何か起きると、すぐに、

己以外の責任にしてしまう考え方と、

全く正反対の考え方ですが、

己を汚すことができるのは己だけ。

失礼を流す器量もない、小さな己だ。

という考え方は、凛として孤高です。

釈尊も悪口を受け取らなかった。

という記事を、先日書きましたが、

罵る言葉は誰のもの?

怒る人は無知で未熟な人。というのは、

仏教の教えのひとつですねー。

(指摘や注意することは必要です)

へんなおじさーん、へんなおじさーん。

と、陰口や噂、誹謗をされても、

全く心は動かされず、

(それは志村さんのギャグだけどな)

アイーンと言われても、

そもそもそれは、己には関係ないことで、

(つーか、ただ笑うだけでよくね?)

そのように侮辱することによって、

言う人の評価が下がるだけであり、

(だから、ただのギャグだからね)

心が汚れている己だという証明を

自身でしているつまらない人だと

考えれる生き方は、

(いや、だからギャグだから・・。)

拙者・・・・。

器の大きい生き方だと思うわけです。

(思うわけです。じゃねーよ)

というわけで、次いってみようー!

(それは、いかりや長介さんな)

(もう、全部間違ってて、だっふんだ)

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