後藤又兵衛と武士道の義

義とは、武士道の背骨である。と、

武士道を書いた新渡戸稲造さんは説きます。

武士道において義とは、最も大事な徳目。

ようするに、人として必ず守るべき道。

ということです。

また、林子平さんは、

義とは、己の身の処し方について、

道理に従い瞬間に決断する力のこと。

と、説いたようですが、

まあ、言うなれば、

「正義の道理」ということであり、

「正しい義」が軸にあるからこそ、

道に従い、正しい道を選択できるわけですが

ようするに、白戸家で有名な、

あの会社の社長さんの道理ということです。

(孫さんは「まさよし」さんだから)

義とは不合理

当時とは時代が違い、現代の感覚では、

義とは不合理に見えるかも知れませんねー。

現代に限ったことではありませんが、

人間にとって損得というものは、

大事なことのひとつです。

今、どっかの省で、

文章を改ざんしただの、どうだのと、

なにやら騒いでおりますが、

不正は不正だと考えるのか?それとも、

己の利益や保身を考えるのか?と、

いろいろ悩んだり、苦しんだりするのも、

義と損得の間で揺れているということです。

人として必ず守るべき道とは、

ようするに、人間が守るべき道であり、

拙者のように動物的に生きてしまう

「人でなし」なら「人ではない」ので、

守る必要はないかもしれませんが、

武士にとって、

また、武士道にとっては、

人として必ず守るべき道という、

正義の道理は最も大事な徳目ですので、

当然、損得は正義の道理には勝りません。

まあ、簡単に言うと、

己の利益を考えているようでは、

義という境涯には到達できない。

ということですが、

ようするに、

「お前にはまだ早い!」

ということですねー。

(それは、白戸家のお父さんのセリフな)

君子は道を謀りて食を謀らず

孔子さんの言葉に、

「君子は道を謀りて食を謀らず」

というものがあります。

簡単に言うと、

偉大な人は道を求めても、食のために求めない。

という、感じですが、

多くは己の利益を求めて生きるものですし、

また、そう生きることが、

幸せに近づく道だと信じているものです。

そもそも、生き物というものは、

命をつなぐことを第一に生きるものです。

ですから、己の利益を求めるということは、

自分の命をつなぐということに

つながるわけですから、

言ってみれば、ごく当たり前の行動であり、

とりたてて問題はないわけですが、

ただし、生き物はそれでよくても、

武士は、それだけではなかった。

ということですねー。

まあ、動物がご飯を食べた後、

俺はなんのために生きてるんだろう?

と、悩んだり、病気になったなどとは、

聞いたことがないものですが・・・、

そういえば拙者も・・・、

悩んだことはありません!

(うんうん、わかるよ)

後藤又兵衛

大阪の陣で活躍した武将に、

後藤又兵衛基次さんがいます。

秀吉さんの二兵衛といわれた、

黒田官兵衛さんと、

その子である長政さんの、

黒田家二代に仕えましたが、

長政さんと仲が悪く、浪人となりました。

又兵衛さんに来て欲しいという大名は、

数多くいたようですが、長政さんが、

「又兵衛さんを召し抱えないように」

と、方々に手をまわしたため、

どこにも仕官できなかった又兵衛さん。

そんなときに、合戦の準備をしている

豊臣秀頼さんより使者が来ます。

その後、又兵衛さんが、

豊臣方についたと聞いた長政さんは、

「大阪はよき将を得た」

と、称えたといいます。

大阪の陣が始まると、長政さんの予想通り、

又兵衛さんは真田信繁さんらと共に活躍し、

徳川方を悩ませ続けますが、

大阪方はだんだんと劣勢になっていきます。

そんなとき、又兵衛さんのもとに、

家康さんから使者が来ます。

ソフトバンクにFAすれば、

じゃなく・・・、

徳川に寝返れば、

5億円の年棒を支払う・・・、

じゃなく、播磨(兵庫県)を与える。

というわけです。

(ソフトバンク、お金持ち球団だな)

大阪に仕えるまでは、浪人だった又兵衛さん。

浪人とは、ようするにプータロー。

プータローから、いきなり播磨一国の大出世。

と、なるわけですから、

拙者なら、間違いなく、

「はい喜んで!」と、

背中に書かれたTシャツを着て、

家康さんのもとに向かいますねー。

(どこかの居酒屋ですか?)

加えて、播磨の国は、

又兵衛さんの故郷でもあります。

播磨の大名になれば、

まさに故郷に錦を飾ることができるわけです。

うーむ、家康さん。

拙者のことをよくわかってらっしゃる。

という感じですねー。

(お主じゃねーわ)

又兵衛さんの義

家康さんから、誘われた又兵衛さんでしたが、

家康さんに対する返事は、

今大阪の運かたむきて、

秀頼、亡びん事、近きに候。

それを見て二心をいだかんことは、

弓矢取る道にあらず候。

簡単にいうと、

大阪の運も傾いて、

秀頼さんも滅びるだろう。

そんなときに、大阪を見捨てて、

徳川にFAするなんて・・・、じゃなく、

徳川に寝返るなんて、武士の道ではないよ。

と、返答をします。

武士道の背骨である、義。

又兵衛さんの正義の道理とは、

もちろん、播磨一国ではなく、

また、不合理なことかもしれませんが、

滅びるとわかっていても、

秀頼さんに忠義を貫くことだったわけです。

その後、又兵衛さんは、

家康さんに、その器量を認められたことを、

誇りに思い奮戦し、大阪夏の陣にて討死。

大阪の陣は豊臣方の敗北で、幕を閉じます。

人として守るべき道は、命を懸けて守り抜く。

現代の感覚からすると不合理で、

理解できない人もいるかもしれませんが、

又兵衛さんは義を守り、武士として、

また、人として生を終えたいと思った。

ということですねー。

まあ、又兵衛さんは、

大阪に来る前は浪人だったわけですから、

国や家臣を守らなければならない、

武将たちとは違い身軽といえば身軽。

保身のため、播磨一国を選ぶより、

武士として名を残したいと、

思ったのでしょうが、

いつも長生きしたい、いい暮らしがしたいと、

考えている拙者とは、違うわけですねー。

(お主と比べるな)

まーとりあえず、身軽さなら、

又兵衛さんより自信がある拙者ですので、

いい暮らしをするために、今日もマメに動き、

長生きを目指したいと思うでござる。

(お主に義は、どこにもねーな)

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