地獄、極楽、どこにある?

原始仏教聖典には、釈尊の語として、

「ここに五つの生存領域(趣)がある。五つとは何であるか。地獄と畜生と餓鬼と人間と神々とである。」

といい、地獄については、

「われは、地獄、地獄に至る道、地獄に至る行路を知り、またかつて行なった行ないにしたがって、身体が破壊したのち死後に地獄に生まれるということを知っている。」

という。他の畜生、餓鬼、人間、

神々(諸天)についても

同様の説明をくりかえし、

最後に煩悩を滅ぼしつくして達する

解脱の境地、ニルヴァーナ(涅槃)

についていう。

「われは、ニルヴァーナ、ニルヴァーナに至る道、ニルヴァーナに至る行路を知り、またかつて行なった行ないにしたがって、諸々の汚れを滅ぼしたのちに、汚れ無く、心の解脱、智慧の解脱をまのあたり自ら知り体得して達しているということを知る。」

さらに全掲の文句を敷衍するような

説明がなされている。

「またわたしは、或る一人を、心を以てとらえて知る―――「この人は、身体が破壊してのちに死後に地獄に生まれるように、そのように実践し、行動し、道を進んだ。だからこの人が身体が破壊してのちに死後に地獄に生まれて、ただ苦しむのみで激しい苦痛を感受していることを、わたくしは清浄にして超人的な天の眼を以て見る。」」

往生要集 中村元先生訳

解脱

初期の仏教では五趣でしたが、

大乗では六道輪廻といわれ、修羅が増え、

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天

という六趣になります。

この六趣の流れから抜け出すことを

「解脱」といいます。

ようするに、涅槃。

英語ではニルヴァーナということですねー。

拙者など、あー、涅槃に至りたい。

なーんて、思うのですが、

(まあ、お主は確実に無理だけどな)

そんなことを書くと、

1995年に地下鉄サリン事件を起こした、

自称「解脱者」の松本氏と同じか?

と、思われそうな感じです。

まー、「解脱している」ということは、

ようするに自由であるわけで。

己を縛る、

ありとあらゆるものを手放した解脱者が、

事件を起こそうと計画したり、

また起こしたり、

この世のなにかにこだわって、

執着し、行動することなどないわけです。

世間では、煩悩にまみれ、我欲に生き、

力を持ち、快楽を享受している者が、

尊敬され、目指す人になっているようですが、

同じ穴のムジナゆえに、

自称解脱者のウソが見えなかった?

また、だからこそ、

あのような人でも、ごまかすことができ、

信者が集まったのかも、しれませんねー。

努力という言葉の意味

煩悩にまみれ、我欲に生き、力を持ち、

快楽を享受する者を尊敬する人が多くなれば、

常識は非常識というように、

いろんなものが変化してきます。

例えば、努力という言葉は、

名声や力を持つために競争に勝つ。とか、

快楽を享受するためにはお金も必要、

ゆえに儲ける。という感じで、

競争に勝つための努力。儲けるための努力。

というように、使われるわけですが、

いろんなものを手放して、

自由になることを目指す人からすれば、

欲望に生きるなんて、そんなの苦労もいらず、

誰にでもできることなんだから、

努力ではなく、むしろ、堕落じゃん。

と、思うものです。

自由になることを目指す人は、

己の人格を磨くために努力するわけで、

磨かれないというより、むしろ、

退化することを積み重ねるような行動は、

堕落でしかないわけですねー。

文中にもありますが、

この人は、身体が破壊してのちに

死後に地獄に生まれるように、

そのように実践し、行動し、道を進んだ。

というように、地獄に堕ちてしまう行動は、

片方にとっては、努力ではなく堕落だが、

片方にとっては努力。

こうなってくると、努力という言葉の意味が、

その人によって変化することになりますね。

この世か、あの世か

まだまだ先があるからと思ってしまう、

ようするに「有後心」があるゆえに、

つい、今を生ぬるーく、

生きてしまうものかもしれませんが、

(お主もそうだろ!)

地獄、極楽はな、この世にあるよ。

それはにゃあ、みんな自分がつくっとる。

と、以前、ダスキンさんのCMに出ていた、

きんさんぎんさん

蟹江ぎんさんがおっしゃったように、

今生でも、地獄、極楽はありますねー。

煩悩にまみれてしまうと、

力を持ちたい、快楽を享受したいと、

欲を満たすために、他人と争う日々を、

送ってしまいますが、

争いに負ければ、さらに時間と労力をかけ、

まだ誰かに取って代わろうとし、

争いに勝ったとしても、その瞬間から、

得た場所を狙う者に追われる日々。

己に克つという人生ではなく、

得るものを他人と争う人生は、

己の生き方を変えないかぎり、

永遠に続くわけですから、

まあー、安らぐ日はありません。

欲望だの快楽だのは、

動物的なことだと思う反面、

拙者も元々持っていることですし、

理解はできるわけですが、

欲望や快楽だけを追い求めるような、

人生を見つめたとき、

生きるって、そんな小さなことではなく、

もっと大きいことじゃね?

という思いが、わいてくるわけです。

欲が全てという人生は、

動物ならそれしかできないし、

動物的にはOKだとしても、

人間にとっては地獄だと思うわけです。

そして、生き方は己で選択できる。

ということは、

やはり、今生の地獄極楽も、

あの世にある地獄極楽も、

みんな自分がつくっとるわけですねー。

きんさんぎんさん ダスキンCM

まー、きんさんぎんさんのCMのセリフは、

「ひゃくさい、ひゃくさい」ですが、

こんなことをエラそうに書いてる拙者は、

今「はくさい」の値段に興味深々です。

(お主の未来は、みんなお主がつくっとる)

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