人間はアリの弟子なのか?

アリの道

矢沢永吉さんの、

「アリよさらば」という歌がありますが、

人間はもちろんアリではありませんし、

また、動物でもありませんねー。

(当たり前だろ)

ま、動物のような拙者はともかくとして、

普通であれば、そらそうよ。と、

考えるものですが、

よくよく考えてみると、

行動の目的が同じじゃね?

と、思う人もいるわけです。

(お主のことだな)

自立ということ

3月は移動や引越しの時期ですねー。

いろんなところで引越し屋さんの

トラックを見かけますし、

拙者の周りでも、いろんな動きがあります。

ま、一般的には、

己の衣食住をまかなってこそ自立。

なんてことを、聞いたりもしますが、

拙者は、それだけで自立とは思わないし、

また、実家にいても自立している人は、

たくさんいると思ってます。

この春、卒業した学生さんたちは、

これから社会に出ていくわけですが、

親元を離れ生計を立てていく人もいれば、

実家から通う人もいたりで、

それぞれのスタートがあると思うわけです。

学問のすすめ

福沢諭吉さんの書かれた、

学問のすすめにはこうあります。

男子が成長して、あるいは職人になったり、

商人になったり、役人となって、

ようやく親や朋友の厄介に

なることから免れて、

それ相応の衣食をして

他人に対する悪さもなく、

借家でない自分の家を作り、

家具はまだ揃っていないけど

嫁だけはまずとりあえずということで、

望みの通りに若い女性を嫁にもらって、

身の治まりもついて倹約を守り、

子供はたくさん生まれたけれども・・・。

途中省略

独立の活計を得たとして得意な顔をして、

世の中の人もこれを見ては

不羈独立(ふき)の人物だと言い、

人に過ぎた働きをした手柄のように

称するのであるけれど、実際のところ、

それは大間違いというものである。

長々と書かれていますが、

ようするに、家族を持ち、家を建て、

子どもに教育を受けさせ、

危急の時に備えて多少の蓄えをしても、

それがどうした。

と、おっしゃるわけですねー。

「アリよさらば」の歌詞風にいうと、

それが人の幸せなの?

それって、ちっぽけな角砂糖を探してる

アリみたいなもんじゃね?

ということですねー。

(なにがだよ)

アリの門人

己の生活を己が維持してなにがわるい?

という声が、聞こえてきそうですが、

とりあえず、福沢諭吉さんは、

よくないとは言っていないわけです。

どういうことかというと、

それぐらいで、満足したらいかんでしょ。

もっと、あるんじゃない?人間なら。

ということが言いたいわけですねー。

ここでまた、

学問のすすめから引用してみますと、

この人はただ蟻の門人(弟子の人)と

言うべきである。

生涯の事は蟻の右に出ることができない。

衣食を求めて家を作る

ということに関しては、

額に汗を流したこともあるだろうし、

胸に心配をかかえたこともあるだろう、

昔の人の教えに恥じるところは

ないのだけれど、

その成し得た功績を考えてみると

万物の霊長たる人の目的は

達していないのである。

ようするに、

まあ、恥ずかしいことではないけれど、

これで満足してたら、人間がアリみたいじゃん。

ということですねー。

生涯の事は蟻の右に出ることができない。

とは、非常に厳しい言葉ですが、

この言葉に思い当たる人は大変ですねー。

(むしろお主にこそ、この言葉を捧げたい)

人の道のすすめ

最後に、万物の霊長たる人の目的は

達していないのである。

と、ありますが、

じゃあ、人の目的ってなんなのよ?

ということになってきます。

「アリよさらば」の歌詞風にいえば、

何で生きているのか教えてくれよ。

という感じであり、また、

行先も知らないまま、

同じ顔をして、老いていきまっせ。

ということです。

まあ、ようするに、

そりゃあ、大変だー。ということですねー。

(だから、大変なのはお主だよ)

とりあえず、大変だー。

という人のために、ここでまた、

学問のすすめから引用してみますと、

(いや、だからお主のことだよ)

今述べたように、一身の衣食住を得て、

そのことに満足するならば、

人間の渡世はただ生まれて死ぬだけで、

死ぬときの有様が生まれた時の有様と

同じと言うことになってしまう。

このようにして、子孫に伝わっていけば、

幾百代を経ても村の有様は

昔と同じ村のままで、

世の中に公の工業を起こす者もなく、

船も造らず橋もかけずに、

一身一家の外は皆

全て天然の成り行きに任せて、

その土地に人間が生きたという痕跡を

残すことはないだろう。

ようするに・・・、

己の生活だけで満足していては、

世のため人のためにならんではないか。

それでは、アリと同じだろう。

むしろ、アリが感じる満足など、

人間が求めるものに比べると、

たかが知れている。で、あるなら、

同じ地球に生かされている命、

という立場から見れば、

地球に多く負担をかけているのは、

アリより人間だから、そう考えると、

ようするにアリ以下。

つまり、アリの弟子じゃん。

ということですねー。

万物の霊長たる人の目的とは、

己が生き長らえ、満足すればそれでいい。

という生き方しかできない、

他の生き物とは違うわけです。

ということは、

人にしかできない生き方をするのは、

当然、人が生きる目的のひとつです。

というより、

人間が他の生き物のように生きて、

何も感じないというのは、どうなのか?

また、できる立場にいるけどやらない。

というのはどうなのか?

人間は人間にしか、

できないことがあるのではないか?

万物の霊長たる人の生き方を考えよ。

というのが、福沢諭吉さんの、

伝えたいことなのではないかなと、

思うわけですねー。

というわけで、拙者も、

アリではなく、福沢諭吉さんに弟子入りし、

「アリよさらば」の歌詞風にいえば、

小さな幸せを求めて生きるような、

アリ人間の群れとは、

おさらばしようと思います。

(作詞は秋元康さん)

ですので、まず手始めに、

師の肖像画が載っている、

一万円札を集めることに、

精を出そうかと、思うのですよ。

(つーか、もうお主は、アリさんも相手にしてくれない)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする