人生は苦という考え方と八支正道

一切皆苦

大乗仏教に四法印というものがあります。

一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静

という四つで四法印といいますが、

今日はその中の一切皆苦です。

一切皆苦とは、ようするに人生って、

思い通りにならないものだよねー。

ということです。

この真理を聞くと、

やっぱ、そうだよなー。と感じたり、

なんか希望がなくなっちゃったよー。

と感じたり、下手をすると・・、

だから、生きるのはつらい。

ゆえに、死こそが安楽の道。などと、

考える人もいるかもしれませんが、

それらは一切皆苦の意味を勘違いしています。

苦しみの世界だからねーと、もがき苦しみ、

厭世的な思考で「死こそが安楽の道」

という、単純な思考に至るのは、

とても簡単なことですが、

お釈迦様はわざわざ、

厭世的な人生観を示すために、

一切皆苦と説いたわけではないわけで・・。

まー、こんな考え方だと、

遠山の金さんみたいに、

「これにて一件落着」とは言えず、

なんの解決にもならないよ。

ということです。

明らかな智慧

中村元先生の訳された、

ダンマパダにはこうあります。

「一切の形成されたものは苦しみである」

(一切皆苦)と明らかな智慧をもって

観るときに、

ひとは苦しみから遠ざかり離れる。

これこそ人が清らかになる道である。

一切の形成されたものは苦しみである。

と、ただ観てしまうと、

確かに、厭世的に感じるものですが、

同じものを見ているのに、

不思議なことですが、

「明らかな智慧」を持って観ると、

人が清らかになる。

言ってみれば、

おめえが見た桜吹雪は・・・これのことかい?

という感じですねー。

(そろそろ桜が咲きますな)

つまり、明らかな智慧があれば、

生きるのはつらいから死が救い。などと、

極端に考えることはないわけで、

まー、反対に言うと、

死が救いの道などと考える人は、

智慧を知らないということになるわけです。

中道を歩く

思い通りになーれ!という感じで、

欲を満たせることが幸せ。

と、考える人は多いものです。

そしてまた、

思い通りにならないと苦しいー。

とも、考えるわけですが、

この両極端から離れ、中道を歩け。

と、お釈迦様は説きます。

ようするに、欲望にふけることや、

思い通りにならないよー。と、苦しめるのは、

己のためにならない。

まー、簡単に言うと、

楽と苦から離れなさいということですねー。

で、その楽と苦から離れる方法は、

八支正道の実践である。と、説かれます。

説かれます・・・。というか、

その他に道はない。おっしゃるわけです。

ま、ようするに、しらを切っても、

「遊び人の金さんは全てお見通し」

と、いうことですねー。

(なにがだよ)

八支正道

八支正道とは、

正見(正しい見方)正思惟(正しい考え方)

正語(正しい言葉)正業(正しい行ない)

正命(正しい生活)正精進(正しい努力)

正念(正しい心がけ)正定(正しい瞑想)

という八つの道ですが、

煩悩まみれの拙者には、

特に正見が難しいかもしれませんねー。

(人ごとかよ)

詳しい説明は、専門書にお願いすることとして、

文章が、少し長くなりますが、

ざっくりと八支正道を、

拙者流に説明してみたいと思います。

正見

正見とは、ありのままに事実を見ること。

ようするに、

執着と距離をとり、ありにままに見る。

ということです。

以前、ありのままの自分

にも書きましたが、

人は執着によって、心が渇きます。

ようするに、渇愛という状態です。

渇愛の状態であれば、

物事をありのままに見ることはできません。

己のことも、起きる出来事も、

渇愛や執着というフィルターを通さず、

全てありのままに見る。

ようするに、

欲に対する執着と距離を取ればとるほど、

ありのままに、見れるわけですねー。

正思惟

正思惟とは、正しい考え方ということですが、

ま、簡単に言えば、

起きてもないことをあれこれ考え、

妄想して疲れんなよー。

ということです。

己の感情に振り回されて、

仮に、いろんなことを考えても、

「また起きてもないことを、妄想してるなー」

と、己を客観的に見る習慣をつけましょ。

ということですねー。

正語

正語とは正しい言葉を使いましょ。

ということです。

斉藤一人さんは、

「地獄言葉」なんて表現してますねー。

悪しき言葉を使うのをやめる。

ということより、むしろ、

心を整えれば、言葉も自然に変わってくる。

という方向が、やらされてる感がなくて、

いいかもしれません。

同じ「ごきげんよう」という言葉でも、

拙者が言う、ごきげんようと、

生まれも育ちもお嬢様が言うごきげんようは、

生きてきた過程や思考が違うわけですから、

まったく違う言葉ですからねー。

(とりあえず、お主は言うな)

正業

正業とは、正しい行い。

殺生すんなよ(不殺生)、

盗むなよ(不偸盗)、

不純なことすんなよ(不邪淫)

という三つ・・・。といいたいところですが

これに、歯磨けよ、お風呂入れよ、

を加えた5つ。・・・というのは嘘です。

(それは、加藤茶さんのセリフ)

正しい行いとは、つまり、

不殺生、不偸盗、不邪淫の、

三つを守りなさいということです。

例えば、これから暑くなってくると

いろんな生物が活発になるわけですが、

蚊が飛んでいるからといって、

気楽に、パチン!とやっちゃうと、

どんな命でも、同じ命。

殺生すんなよ!と

加藤茶さんに言われるわけです。

(それは加藤さんは言わない)

正命

正命、正しい生活とは、

ようするに、ライフスタイルのことです。

(ただ、英語で書いただけじゃねーか)

己の衣食住という、つまり生活を正しくする。

例えば、衣食住に対する、ご縁に感謝し、

無駄にせず、必要なだけいただく。とか、

見栄を張ったり、必要以上に貪らない。

という感じでしょうかー。

ですが、それを、

無理やり頑張るのではありません。

ま、無理やり感謝するのではなく、

自然に感謝する生活をおくれるように、

また、毎日の生活を感謝で満たせるように、

心を整えていけば、

自然と正命になる。ということですねー。

正精進

正精進、正しい努力とは、

簡単に言うと、

善きことをして、悪しきことをすんな。

ということです。

「四正勤」という言葉があります。

ようするに、四つの正しい努力のことです。

ひとつは、悪いことをしないこと。

次に、やっちゃった悪いことは、

取り除くようにすること。

そして、善きことをすること。

最後に、すでにやっている善きことは、

もっと大きく育てること。

つまり、競争に勝つための努力とか、

得するために頑張るとか、

そういうのと、ちょっと違うわけですが、

拙者がそれを忘れて、得したーい。と、

違う努力をしていると、

「この遠山桜、忘れたとは言わせねえ」

と、金さんに言われてしまうわけです。

(あ、そう。)

あと、あの人怖いから。とか、

本当の事言えば、損しそうだから。

という感じで、

いらぬことは言わず見て見ぬふりをしよう。

ではなく・・、

環境がどうあれ、正しいのであれば、

正しいことは正しいと、

勇気を出して善い行いをする。

ということも大事みたいですねー。

ま、拙者には無理ですけどー。

(それは、知ってる)

正念

正念とは、正しい心がけのこと。

念とはパーリ語でサティと言いますが、

サティとは、気づくということです。

無眼耳鼻舌身意 無色聲香味触法

という言葉が、般若心経にありますが、

拙者の場合、眼があるから、色が見え、

耳があるから、聲(音)が聞こえ、

鼻があるから、香りを感じ、

舌があるから、味がわかり、

身があるから、触る感覚を感じ、

意という心があるから、

法という心の対象があるわけですねー。

(ま、お主だけではないけどな)

そして、これらがあるからこそ、

いろんなものに欲を持ったり、

執着を持ってしまうようになる。

例えば、舌があって味を感じるから、

美味しいものが食べたい。

また、まずいものは食べたくないと感じる。

そして、

美味しいものはいつも食べれない。

まずいものでも食べなきゃいけない。

という執着の先に待っているのは、

思い通りにならない。という苦悩ですよね。

あー、ということは、苦悩って、

これらの感覚に振り回されているからねー。

じゃあ、そうならないために、

うまく距離をとりましょうねー。

そういう事実に気づいて、

その事実を忘れず、心がけていく。

その事実のありのままに気づく。

ということが、正念ということです。

正定

そして正定、正しい瞑想ですが、

実は、今まで説明した七つは、

正しい瞑想をするために必要なことでした。

正しい瞑想(禅定)をすることで、

智慧を得ることができます。

智慧を得るということは、ようするに、

無明を破るということです。

はじめの七つが、正しくなければ、

いくら禅定を頑張っても、智慧は得れません。

でたらめな地図では、

目的地に行けるわけがありませんよねー。

まあ、ようするに、

この桜吹雪、

散らせるもんなら散らしてみやがれ!

という感じでしょうか。

(なにがだよ)

智慧とはこの世で最高のもので、

ま、人間の最高の幸福のことであり、

儲けるための3つのステップ。のような

テクニックとは全く次元が違うものです。

その智慧を得る方法が、正定なのですが、

拙者はそれ以前の問題で、

瞑想すると、瞑想ではなく、

就寝になってしまうので、

遠山の金さんに、

市中引き回しの上、打ち首獄門!と、

言われてしまうでござるよ。

(こやつを引っ立てぇい!)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする