損得と礼儀

今のひとびとは

自分の利益のために交わりを結び、

また他人に奉仕する。

今日、利益をめざさない友は、得がたい。

自分の利益のみを知る人間は、

きたならしい。

犀の角のようにただ独り歩め。

ブッダのことば 中村元先生訳

犀の角

スッタニパータの蛇の章の中にある、

犀の角の最後の詩です。

うーん・・・。

自分の利益のために交わりを結び、

また、他人に奉仕するような友人って、

いらねえよ。めんどくせー。と、

拙者は思いますが、

みなさんはいかがなもんでしょうかー。

(ほー、エラそうだなー)

とりあえず拙者、

いらねえよ。などと言えるほど、

エラそうな人間ではありませんが、

まあ、興味ないね。という感じです。

(いやー、エラそうだなー)

ですが、釈尊が生きてらっしゃった時代も、

こういう人が当たり前だったということは、

今も昔も人間というものは・・・、

どうしようもない生き物ですねー。

(やっぱり、エラそうだー)

礼儀とは

まあ、そんなエラそうな拙者ですから、

(わかってるじゃねーか)

いやー、最近じゃ、

利益、利益って、言わない友達って、

いないよねー。(超訳)

と、文章にあるように、拙者の周りには

友人がいないわけですが、

(お主がエラそうだからでしょ)

まあー、たまに寂しくて、

心が折れそうな時も、あるでござる。

(ウソつけ!)

(つーか、心は折れるのか?)

(折れるところを見てみたいものだなー)

先日、久しぶりの人から飛脚が来て、

(メールだろ)

なになに?と読んでみると・・、

ま、簡単に言えば、新しい商いを始めたので、

ようするに「買え」と・・・。

(いい友達じゃねーか)

まあ、要件の前には、

「お久しぶりです、お元気ですか」

などという感じで、

こちらを思うような文章から、

始まっているわけですが、

これって、礼儀じゃないよなー。

と、思ったわけです。

礼儀って、

己の人間性が問われるものですよねー。

どういうことかというと、

相手を思いやる心が態度に出たものが、

礼儀ってもんでしょ。てことですよねー。

ようするに礼儀とは、

形だけの言葉を並べたり、

一応やっておかなきゃ。みたいな感じでする、

表面的な礼儀作法のことではないわけです。

武士道で礼とは、簡単に言えば、

道理を尊重することです。

道理とは、道の理(ことわり)のことで、

ようするに、正しい筋道ということが

道理というわけですから、

例えば、相手の立場とか、貧富の差や、

地位や名声などの社会的立場によって、

礼は変わるものではありませんし、

また当然、己の損得によっても、

礼儀は変化するものではないわけです。

利と礼儀

自分の利益のみを知る人間は、

きたならしい。

という言葉が文章にありますが、

自分の利益のみを知る人間は、

きたならしい。ということは、

「礼儀知らずな者」は、きたない。

でもいいと思うわけですねー。

つまり、己の損得に関係する程度によって、

付き合い方を変えるような人間は、

己の欲しか見えていない者であり、

もっと言えば、

まわりのことを考えれない人間であり、

まあ、ようするに、

己の無礼さ、失礼さがばれないように、

形だけの礼儀で隠そうとするつまらん人間。

ということですから、

卑怯者で、きたない人間ということです。

そんな感じで考えてみると、

行儀よく真面目なんて

できやしなかったー

夜の校舎窓ガラス壊して回ったー♪

という、尾崎豊さんの

卒業という歌の歌詞に出てくるような、

「無礼者ですけど何か?」

みたいな人の方が、無礼を隠して、

形だけの礼儀をする卑怯者でないだけ、

いいと思うわけですねー。

ということで、拙者。

本日も散々、失礼なことを書きましたが、

無礼者の戯言だと思い、お許しいただきたい。

(もう遅いわ)

重ね重ね、左様な無礼をしてしまい、

お詫びのしようもございませんが、

今一度、心より平伏いたす所存にて、

ご容赦いただきたいと思う次第にて候。

(お主が一番、礼儀知らずな卑怯者)