ありのままの自分

ありのまま

ありのーままのー

姿見せるのよー♪という、

「裸でうろうろするのはやめましょう」

という歌・・・、

じゃなくて・・・。

(お主、いつか怒られるぞ)

とても素敵な歌が、

少し前に流行りましたが、

(フォローしても、もう遅い)

皆様いかがお過ごしでしょうか?

(なにがだよ!)

拙者は、この「ありのまま」というか、

「ありのままに見る」って、

とても難しいことだと思っているのですが、

皆様はどうお考えですかねー?

個性か、わがままか

ありのままって、

ようするに、見たままというか、

あるがままという感じだと思いますが、

この、見たまま、あるがままって、

人それぞれで違ってきますよねー。

例えば、山の頂上に登り切って一言。

という場合、

夢中になって登ってきたから、暑いわー。

という感じで、「あつー」という人と、

汗かいて、暑かったけど、頂上涼しいなー。

という感じで、

「涼しいー」という人がいます。

まー、同じ道を登ってきて、

同じ結果に至ったとしても、

それぞれで反応も変わるわけですが、

なぜ、変わるのか?というと、

それぞれが感じる、あるがまま、

見たままだからですよねー。

ということになってくると・・・、

わがままな人は、わがままなあるがまま。

意地悪な人は、意地悪な見たまま。

ということになることもある。

(なんだかなー)

ようするに、

ありのーままのー 自分になるのー♪と、

個性出したら、嫌な顔されたがな。

ということもあるということです。

(お主のことだな)

こんな感じで考えちゃう人は、

ありのままの自分を出すのって、

ちょっと怖いなー。なんて、

思ったりするものですよねー。

ありのままは生きにくい?

ありのままの自分を出すのって、

ちょっと怖いという感じになってくると、

個性なんて出しにくいわー。

と、考えてしまったり、

当たり障りのないように生きていこうと、

考えてしまうものですが、

そういう人生になってくると、

もはや、自分の人生じゃない!といっても

過言ではないですねー。

だけど反面、個性を出して、

嫌な顔をされるというのも、

なんだかなー。という感じです。

例えばfacebookなどのSNSですが、

それらに投稿されている内容だって、

その人のありのままではありませんよねー。

じゃあなんだよ?ということですが、

記事を見ている人から、

自分をどう見てもらいたいか?

という感覚で、投稿している人がほとんど。

ようするに、誰のページだ?ということで、

・・・。

個性を出して、嫌な顔をされる。

VS

自分の人生じゃない!

うーん。

どっちにしても生きにくいね-。

という感じに、なってしまいそうですね。

ありのままとは

己の偏見とか、はからい、

エゴなどを一切捨てて、

そのままの状態を見ることを、

本当の「ありのまま」といいます。

先ほどの山に登った例でいえば、

山に登ったとは、山に登ったということで、

それ以上もそれ以下もないわけです。

どういうことかというと、

夢中になって登ってきたから、暑いわー。

汗かいて、暑かったけど、頂上涼しいなー。

というのは、個人的な感想ですが、この他に、

「2人で同じ道を歩き、山の頂上に登った」

という事実もあります。

あつい、涼しいという個人的感想と、

頂上に登ったという出来事は、

一連の流れではありますが、別の事実です。

これらを全て、ひとまとめにして見ると、

もう「ありのままを見ている」とは、

言えなくなってしまうわけですねー。

つまり、「あつー」という事実と、

頂上に登ったという事実が、セットになれば

「頂上に登ってあつかった」

という、違う出来事ができてしまう。

よく、人間関係がこじれたが、

よく話してみると、誤解があって、

いやー、もうしわけない。というのは、

起きた事実は、ただ起きた事実であるのに、

その起きた事実に対して、

己の感情や思考を加えて見た結果、

新しい事実が生まれ、

そして、誤解につながった。

ということであり、

ようするに、

己の感情を出来事に合成してしまうと、

「ありのまま」ではなくなって、

「己の偏見で見た新しい出来事」

に、変化してしまう。ということです。

まあ、ようするに、

雨はただ、雨であるだけだし、

雨が降ったという事実があるだけなのに、

嫌いな雨、面倒な雨と、恵みの雨と、

雨を悪しきものや、良きものに変えているのは、

自分自身ですー。ということですねー。

ありのままに見る

などと言っている、拙者も同じなのですが、

この世の多くは、

己に都合よく事実を見ていながら、

それが「ありのまま」だと

誤解しているのではないでしょうか?

このように考えてみると、

ありのままの自分というのは、

感情や偏見、欲望を加えず、自分を見たもの。

ということになりますねー。

例えば、恥ずかしいから○○しない。

というのは、

恥ずかしいという欲望や執着心が、

行動をリードしているのであって、

「本当の自分はやりたい」かもしれませんし、

そして、もっと突き詰めてみると、

「本当の自分はやりたい」というのも

何かの欲にあやつられた結果。

例えば、生活のため。みたいな感じであれば、

「欲望がやりたい」のであって、

本当の自分がやりたいのでは、

ないのかもしれません。

ようするに、欲望や偏見や、

己のはからいなどを横に置き、

それでも見えてくるものというのが、

「本当の自分」というものであり、また、

「本当に自分がやりたいこと」であり、

「ありのまま見る」ということになるわけです。

無我

まあ、仏教的に言うと、

欲望や偏見を捨てたり、

また、うまく距離をとるということは、

「無我」ということになりますねー。

例えば、己の欲望を満たそうと、

ガンガン行動していくというのは、

相手の利害にもかかわることですから、

嫌な顔をされるかもしれませんが、

個性を出すことは、

相手の利害には関係ないことですから、

「へー、そんな人なんだ」で、済むことです。

そんな感じで考えてみると、

己の欲望や偏見などを表現しようとするから、

ありのままがちょっと怖いのであって、

個性を出すことについては、

悩む必要はまったくないわけですねー。

欲望や偏見などを横に置き、

己が何をしたいのか?

ということを見つめれば、

本当に関わり続けたいことは何か?

ということも見えてくる。

本当に関わり続けたいものが

見つかった人は、

他人の評価が気になったとしても、

それ以上に、やろうという気持ちが、

強いものでしょうし、

歩みの力強さが違うものですよねー。

言ってみれば、

これでーいいのー 自分を好きになってー♪

という感じですねー。

まあようするに、

本当の自分を勘違いしたまま生きたり、

個性を抑えてまで、

周囲に気を使いながら生きていくのは、

もうやめようぜ。ということですが、

拙者はいつまでたっても、

欲望がありのままだと勘違いしており、

風よ吹ーけー ずっと寒いじゃねーか

という状態です。

(風邪ひくなよ)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする