わかっちゃいるけどやめられねえ

幸せの順番

己の中で優先しているものが、

幸せに向かっていなければ、

当たり前ですが幸せが後回しになります。

どういうことかというと、例えば、

「生活のために仕事をする」

という場合、生活のために、

多くを犠牲にするわけですから、

生活が優先で、幸せはその次。

ということになります。

例えば、有名になりたい、

お金が欲しいという欲望。

まあ、確かに、それらも

幸せになるひとつの選択肢ですが、

一つの選択肢であって、

それだけでは幸せになれないものを見続け、

人生を歩いてしまうと、

いつまでも幸せにはなれないよ。

ということですねー。

欲望と動機

お金欲しさに野球をやる人は

決して本物にはなれないでしょう。という、

王貞治さんの言葉があるようですが、

野球に限らず、どの分野であっても、

好きで楽しんでやってる人と、

生活のためという感じで、義務的にやる人では、

最初から目指している場所が違うのですから、

義務的にやってる人が、

好きで楽しんでやってる人を越えれないのは、

仕方がないことですねー。

スーダラ節でいうなれば、

狙った大穴 見事に外れー♪

という感じでしょうかー。

(何がだよ!)

というより、

好きで楽しんでやって本物になれれば、

自然と収入もついてくるんじゃない?

と、思うものですが、

仮に収入がなくとも、道を究めたいと、

好きで楽しんでやってる人は、

そもそも幸せな人です。

欲望の虜になった人からすれば、

例えば、出家したお坊さんなど、

美味しいものも求めず、

貧しく、快楽からも離れた生活を送って、

何が楽しいのか、さっぱりわからん。

という感じでしょうが、

欲望の奴隷になってしまい、

あれが欲しい、これが欲しい、

やれ、満たせた、満たせなかったと、

一喜一憂し続けるような、

欲望に囚われ、苦しみ続ける人生より、

そういうやりとりから距離をとり、

本当に自由に生きていくことが、

安らぎの道だし、

状況や環境に左右されない幸せな日々に、

つながる道がいいという人は、

自由を束縛し、己の人生を支配する欲望に、

興味を持たないものですし、

そういう人生を送ることが幸せなわけですが、

個人的な欲望以上に、

夢中になれるものがないという人は、

己だけの欲望のために、

人生を捧げることしかできないものかも

しれませんねー。

ま、ようするに、

チョイト一杯の つもりで飲んでー

いつの間にやら ハシゴ酒ー♪

だと、体壊して、本末転倒でっせ。

という感じでしょうかー。

(もういいよ!)

スイスイ スーダララッタ

己だけの欲望のために、

人生を捧げることしかできない人生とは、

極端に言えば、まわりはどうでもいい。

という人生です。

こんな感じで考えてみると、

拙者のような凡夫は、

動物的な欲求と、人の道という間を、

ふらふらしながら生きているわけですねー。

まあ、言ってみれば、

わかっちゃいるけどやめられねえ♪

という感じですが、

まあ、拙者は凡夫ですから、

それも仕方がないことでしょう。

だからと言って、

「凡夫だから」とあきらめたような人生を、

生きていくことは、

全く、面白いと感じませんので、

求道はしていきたいと思いますが、

ま、そこは凡夫ですから、

スイスイ スーダララッタ

スラスラ スイスイスイー♪

という感じで、行くしかないかなー。

と思っている次第ですが・・・

え?

お呼びでない?

こりゃまた失礼ーいたしました!

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