水の如し

如水

黒田官兵衛さんが、

隠居するときにつけた如水。

ようするに、水の如し。

秀吉さんが、

わしの死後、天下を取るのはだーれだ?

と、諸大名に質問した時、

いろんな大名の名前が出たようですが、

秀吉さんが・・・、

「いいや、黒田官兵衛」と答えたので、

「ボクは取りましぇん」と

如水と名を変え、出家したとか、

(ん?武田鉄也さん?)

はたまた、しなやかに

水のように柔軟に清らかにと願い、

名付けたなどとされています。

上善如水

また中国の哲学者、老子さんは、

上善如水(じょうぜんみずのごとし)と

いいました。

例えば水は、入る器の形に関係なく、

自らを変える柔軟さを持っていますよねー。

丸い金魚鉢なら、丸く、

四角い水槽なら四角という感じで、

己の形を変えていきます。

もう、

「なんだあいつ、普通は○○だろ!」と、

己の頑なさを変える気など、さらさらなく、

相手を変えてやろうとする拙者とは、

全く正反対。

ようするに、

「ボクは変わりましぇん」

という感じです。(またかよ)

また、拙者は人より下に行くのは

「むかつくー」って感じですが、

水は高いところから、

低いところへ向かって流れていきます。

そして、水がなければ、

この世の命は生きていけません。

水はすべての生命にとって、命の源です。

そして、水とは、しなやかなものです。

拙者のようにつまらぬ我などもなく、

どのようにも変化しますが、

だからと言って、「君、個性ないねー」

というようなものでもなく、

水という性質を保ったまま、

しなやかであるわけです。

ありとあらゆるものに恵みを与え、

他と争うような頑なさも持たず、

そして、しなやか。

人の最高の善(生き方)とは、

水のように生きること。

ということですねー。

水の教え

水は、雪に変わったり、

氷にもなったりするものですが、

先日の寒波の雪下ろしで、

ご近所さんとぎくしゃく。というのも

かなりあったようですねー。

己、己という人が2人集まると、

もうそこは修羅の世界です。

拙者、そんなの見てしまうと、

「ボクは知りましぇん」という感じですが、

これも、水の教えというものかもしれません。

水の教えといえば、

「水五訓」というものがあります。

神社にあったとか、如水さんが言ったとか、

諸説あるようですが、興味がある方は、

検索していただくとして、

水のように生きていくには、

しなやかでなければならない。

しなやかでいるには、

己の心を自由にしておかねばできません。

心をしなやかに、自由にするということは、

己の欲望とうまくつきあうこと。

欲に心を縛られていては、拙者のように、

欲や執着に行動や人生を支配され、

頑なに生きてしまうだけ。

ということになりますから、

108つあるといわれる煩悩を、

101つまで減らすことを目標に、

拙者も精進するでごザル。

(101は、ワンちゃんかプロポーズだけでよくね?)

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