人間五十年と六道輪廻

幸若舞 敦盛

織田信長さんといえば、

人間五十年~で始まる

幸若舞の敦盛を思い出します。

人間五十年、化天の内をくらぶれば、

夢幻のごとくなり。

一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。

幸若舞の敦盛(55秒ぐらいから)

というやつですねー。

信長公記には、桶狭間の合戦に向かう前に、

自ら謡い舞い、

法螺貝ふけ、具足よこせと言いながら

鎧をつけ、立ったまま食事をし、

兜をかぶって合戦に向かったとあります。

人間五十年の意味

人間五十年、化天の内を比ぶれば、

夢幻のごとくなり。というのは、

「四大天王衆天」の一日が、

我々がいる境涯である、人の五十年と同じ。

という意味です。

ところで・・・「四大天王衆天」って何?

という話ですが、少し説明すると、

生命が生まれ変わるといわれる、

六道輪廻という境涯は、

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天という、

六つに分かれています。

(左からキツイ順です)

そして、天の境涯は六欲天といわれ、

さらに、六つに分かれます。

下から四大天王衆天、三十三天(忉利天)、

夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天、

という六つです。

ですので、六道の中で最高の境涯が、

他化自在天ということになります。

ようするに、六道の中で、

行くのが一番難しい境涯というわけです。

ちなみに、一番下の四大天王衆天とは、

いわゆる、四天王がいる天のこと。

ようするに、コロッケさん、清水アキラさん、

栗田貫一さん、ビジーフォーのお二人・・・。

ではなく(それはものまね四天王)

持国天、増長天、広目天、

多聞天(毘沙門天)の四天王であり、

そして、四大天王衆天の一日が、

人の世界の五十年といわれています。

そして、その四天王が仕える帝釈天は、

一つ上の三十三天(忉利天とうりてん)にいて

ここの一日が、

人の世界の百年といわれていますが、

つまり・・・、

四天王がいる四大天王衆天の一日が、

人間の五十年なわけだから、

それって夢や幻みたいなもんだよなー。

って意味です。

(三十三天なら、五十年経ってもまだお昼)

人、餓鬼、地獄

ちなみに人の境涯も、

牛貨洲、倶盧洲、勝身洲、瞻部洲と、

4つに分かれていて、

昼夜の長さは同じですが、

寿量はそれぞれ違います。

今回、そこらあたりは書きませんが、

我々のいる境涯は、

瞻部洲(せんぶしゅう)です。

また、南側にあるので、

南瞻部洲といわれたりしますねー。

まあ、言ってみれば、

影慶、羅刹、センクウ、卍丸でしょうか。

(それは、魁!!男塾の四天王)

(つーか、人の境涯は四天王と違うし)

次に地獄について少し書いてみると、

修羅とは阿修羅のいる、争いの境涯です。

阿修羅は元々、天にいましたが、

帝釈天の産湯を使い・・・、ではなく、

(それは寅さん)

帝釈天にいつも喧嘩を売って、

ついに天から追放されてしまったそうです。

まあ、修羅とはようするに、

怒りと苦しみの絶えない境涯。

ということになります。

畜生道は三悪趣(さんあくしゅ)のひとつ。

三悪趣とは、畜生、餓鬼、地獄のことで、

悪行を重ねた人が趣く境涯です。

一般的には・・・。

まあ、行きたい人はいませんよねえ。

ご存じのとおり、

我々と同じ境涯(瞻部洲)におり、

昼夜の長さは人と同じ一日です。

この境涯の生き物は、食欲、性欲、睡眠欲、

それと、恐怖心で構成されており、

この境涯に再生すると修業はできません。

餓鬼道は、我々の境涯(瞻部洲)の、

地下にあるといわれます。

昼夜は人の一ヶ月が一日だそうですから、

ようするに三十倍。

そして、寿量は五百才ということは・・・。

人の感覚なら、一万五千歳まで餓鬼道にいて、

今まで積み重ねてきた業を、

チャラにしなければならない。

ということになります。

(あってますよね?)

一万五千歳と聞くと、

米寿や白寿がナンボのもんじゃい!

という感じに思えますが、

こうなってくると、

まさに、後生(死後)の一大事ですし、

満たされないよー、欲しいよーと、

不平不満に心を支配され、

生きている場合じゃありませんねー。

それには足ることを知り、

満足、感謝の人生へと、

舵を切っていかねばなりませんが、

「一度生を受け、滅せぬもののあるべきか」

ということですので、

明日、死ぬかもわかりませんし、

のんびりしている場合ではないのですよね。

そしてその次は地獄です。

地獄は餓鬼の境涯より、

さらに下にあるといわれる境涯で、

八寒地獄、八熱地獄といわれ、

十六の地獄があるんですねー。

地獄の中でも一番軽いといわれる、

等活地獄の場合でも、

一日が四大天王衆天の五百年といわれます。

「あー、もう、そんなに長いんかい」

と、計算するのも嫌になりますが、

人間の五十年が、四大天王衆天の一日。

ということですから・・・、

すみません・・・、誰か計算してください。

と、思いつつ計算してみると、

一日が人間の感覚で九百万年?

でもって、寿量は餓鬼と同じ五百才ですから、

人間の感覚だと、一兆六千二百億才???

(アッテマスカー?)

うーん。もうこうなると、

中国四千年の歴史も真っ青です。

ちなみに、最高にキツイ無間地獄は

(間が無く地獄が続くから無間)

寿量が「一中劫」といわれてます。

一中劫・・・。

もう、これ以上は書きませんが、

興味がある方はお調べくださいませ。

死のうは一定

かなり話がそれてしまいましたが、

信長さんは、六道輪廻はさておき、

「人間は必ず死ぬ。故に、どう生きるか?」

という問いを、常日頃から持って、

生きていたのではないでしょうか。

信長公記に、信長さんの居城、

清州城の近くにある天永寺の天沢和尚と、

武田信玄さんの会話があります。

信長さんの趣味は?と聞かれた天沢和尚、

敦盛を一番舞うことと、

死のうは一定 しのび草には何をしよぞ・・。

という、小唄が趣味と答えますが、

この「死のうは一定」とは、

誰でも死ぬことは決まっている。

という意味です。

一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。

と、死のうは一定。

織田信長さんという人は、

誰でも必ず、旅立っていくものだ。

という、生死観を持つことで、

この世に受けた生を、

悔いなく生き切ろうとしたのではないかなー

と、拙者は思うのでござる。

信長さんの悔いなく生きるとは、

己の欲に悔いなく生きることではなく、

当然、天下安寧のために悔いなく。

という生き方ですが、

拙者は、そんなことはさて置き、

次も、修業が続けられるよう、

(つーか、六道からの解脱じゃないのかよ)

人間か天の境涯に生まれたいと、

心から思うのでござる。

(お主は、ちっちぇーなー)

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