四苦八苦

人生は苦

例えば、勝負の世界って、

勝利という一瞬の喜びのために、

相当な苦しみを重ねていく道ですよね。

そういう生き方が楽しい。とか、

その一瞬にかける生き方こそ人生だよ。

という人は別にして、

一瞬の喜びのために生きるって、

あまり好きじゃないんですけど。

って人からしてみると、

当たり前ですが、

あまりやりたいとは思わないものですねー。

ていうか、例えば、

全員参加の徒競走のように、

誰の人生においても、一瞬の喜びのために、

好きじゃないけどやる必要があることって、

たくさんありますよねー。

そんな感じで考えてみると、結局、

「人生は苦だってよ」となってくるわけです。

(なんのパクリだ)

(桐島部活やめるってよ。じゃない?)

(ってよ、だけじゃねーか)

四苦八苦

四苦八苦という言葉があります。

四苦とは、生、老、病、死。

愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦、

の四苦を加え、四苦八苦。

生、老、病、死(しょうろうびょうし)

という四つの苦はすべて、

人間にはコントロールができません。

老苦、病苦、死苦については、

そのままですので、説明は省きますが、

「生苦」について、ざっくりと説明すると、

生苦とは生まれる苦しみのことで、

人として生まれることによって、

「老苦、病苦、死苦」が始まったり、

また、旅立った後は、解脱していない限り、

どの境涯(地獄、畜生、人間、天など)に

再生するかわからないという苦しみのことです。

人として生を受けるは難しく、

今、生命あるは有り難し。と、

お釈迦様は「盲亀浮木」の例えを使い、

人間という境涯に生まれることの難しさを、

阿難尊者にお説きになりました。

拙者は大変幸いにも、

現在、人間という境涯におりますが、

今生の生き方によっては、

次、どの境涯に生まれるかは、

わからないわけですねー。

(ちゃんと精進しろよ)

続いて、愛別離苦(あいべつりく)は、

愛するものと必ず別れるという苦しみ、

怨憎会苦(おんぞうえく)は、

会いたくない人に会う苦しみ、

求不得苦(ぐふとくく)は、

求めても得れない苦しみや、

得れないものを求めてしまう苦しみ、

五取蘊苦(ごしゅうんく)はざっくり言うと、

物への執着や感情や結果など、

いわゆる人の行為全般に対する苦しみです。

般若心経

般若心経の冒頭は、

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時

照見五蘊皆空 度一切苦厄ですが、

私は(観音菩薩)深い修行により、

五蘊は皆、幻(空)だと照見し、悟ることで、

一切の苦しみから解放された。

と、いった意味になります。

拙者などは、五蘊、いわゆる、

物や感情や結果に執着してばかりで、

それらがとても、

幻だと感じることはできませんが、

般若心経にも出てくる五蘊とは、

いいかえれば、五取蘊。

つまり、四苦八苦の中にある、

「五取蘊苦」のことです。

そして、この五取蘊苦こそが、

実は、四苦八苦の中心になる壁であり、

いわゆるセンターなんですねー。

(AKBみたいにいうな)

五取蘊苦

この、五取蘊苦。

センターだけに、ちと、理解にしにくいので、

拙い説明を、もう少ししてみますと、

センターはファンの投票によって、

総選挙で決められます・・・。

じゃなくて。

五蘊の五とは、

色、受、想、行、識の五つのことであり、

蘊とは、集まったという意味です。

ようするに、色、受、想、行、識が、

集まったものが五蘊。

と、いうことになります。

難しい言葉を使うと、

五蘊仮和合(ごうんけわごう)と言いますが、

まあホント、大雑把に理解するなら、

「五蘊は人間」でいいと思います。

まず「色」とは、物質とか肉体のことです。

「受」は、例えば「イライラする」

という出来事を、受け止めること。

「想」とは、そのイライラした出来事を受け、

心で考えたりイメージしたりすることで、

「行」は、イメージや考えを意思や、

感情に変えたりすることで、

受と想以外の全てが該当します。

そして最後に、判断することが識。

という感じですが・・・、

まあ、ようするに、

「人間そのもの」ということです。

物質や人物に対する思いは、

言うに及ばずですが、

イライラしたと受け止めたり、

心で考えたり、イメージしたり、

意思や感情を持ち判断する、

一連の流れはすべて、

己の内側から発生していることですよね。

そして、その、

己の内側から発生していることの源泉は、

何かに対する、己の執着心です。

ようするに、人間の一連の行動とは、

執着心によって全てつくられている。

という感じですねー。

もう少し説明を加えると、例えば、

嫌なことや、好きなことに対する執着、

譲れないものや、ポリシーに対する執着など、

人それぞれ、持っている執着が違うので、

同じ出来事でも、イライラする人がいれば、

気にならない人がいる。

ということになるわけですねー。

そして、ざっくりいえば、

五蘊って幻だってよ。と、

智慧を知り、悟ることができれば、

(だから、ってよ。しか同じじゃない)

じゃあ、執着してもしゃーない。となるので、

苦の源が消え、一切の苦しみも消えるので、

やっぱ、四苦八苦のセンターじゃん。

ということになるわけです。

そして、消えた人のおひとりが、

前回書かせていただいた、白隠禅師です。

人生は苦しみ

かなーり、話がそれましたが、

生きていると、いろんな苦があるよねー。

だよねー、でも、しょうがないよねー。

五取蘊苦ってすなわち人間のことだから。

そうだよねー。やっぱじゃあ、

人生は苦だってよ。ってことになるよねー。

(またかよ)

と、なってしまうわけですが、

多くの人は、

この苦を破る方法を知らなかったり、

また、知っていても、

未熟で己のものにできないので、

(書いてるお主のことだよ)

苦から目をそらすために、楽を得て、

バランスを取ろうとするわけですが、

苦のつらさを、楽で埋め合わせをしても、

苦から逃れることは、不可能ですし、

苦とは、己の無知や精進不足が原因で、

執着から距離を取ることができず、

発生しているものですから、

いってみれば、自分次第なんですねー。

苦の源泉である執着心から、

距離を取っていくには、

仏教では、お釈迦様の遺された、

八支聖道(八正道)の精進や、

(今回、八支聖道は書かないってよ)

阿弥陀さまにお救いいただく。

ということに、なるわけですが・・。

拙者、煩悩破りたいってよ。

(なら、泣いてないで求道しろよ)

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