幸せとお棺の蓋

人間の一生が、

本当に幸福であったかどうかというのは、

お棺の蓋をしてからでないと

わからないのであります。

それが人生というものです。

そう思うときに、

物質的な欲望のみにかられることの

儚さというものを、

思わないわけにはいかないのです。

高田好胤さん 「道」

幸せか不幸か

幸せだなあー。

ぼかあ、君といる時が一番幸せなんだ。

というのは、加山雄三さんですが、

誰かの幸せは、

そもそも拙者にはわからないものだし、

また、拙者には不幸に見えても、

本当にその人が不幸かどうかは、

拙者にはわからないものですねー。

また逆に、

「俺は幸せだー」と、言っている人も、

「俺は不幸だ」なんて、言ってる人も、

それが本心かどうかは、死に際を見ないと、

わからないものかもしれません。

死と後悔

数多くの患者さんを看取ってきた、

ブロニー・ウェアさんの著書

「死ぬ瞬間の5つの後悔」には、

人が死の間際に後悔するという

トップ5というのが書かれています。

そのトップ5を書き写してみると、

1 自分に忠実な人生を生きればよかった

2 働きすぎなければよかった

3 気持ちを伝える勇気を持てばよかった

4 友人と連絡をとりつづけていればよかった

5 もっと自分を幸せにすればよかった

ということだそうです。

まあようするに、

1位にある、忠実な人生を生きれば・・・

に、現れているように、

人が望む生き方ではなく、

もっと自分らしく生きればよかった。

人の目や評価などを気にせず、

「もっと自分を大切にすればよかった」

という、傾向が強いのかなと感じます。

それともうひとつ、

やったことに対する後悔か、

やらなかったことに対する後悔かといえば、

やらなかったことに対する後悔が多い。

ということですねー。

自分の幸せと、他人の思う幸せ

自分の幸せは自分が決める。

という真実は、この地球上のどこに行っても

間違いのない事実ですが、

「己の幸せは己しかわからない!」と、

世の中に旗を揚げるのも、

ひとりで生きているわけじゃないので、

簡単にはいかないこともありますねー。

ですが、幸せって、間違いなく、

「己だけ」ということはないものです。

「己だけ」という幸せなんて、

ようするに、幸せじゃなく、

欲望を満たす程度の幸せです。

欲望を満たす程度の幸せって、

誰かに我慢をさせることが多いものですが、

誰かを我慢させたり、

自分の思うようになるように、

相手をコントロールして、

己の欲望を満たしたとしても、

「そこまでして満たしたかったのか?」

と、己を振りかえると、

明日もー すうばらしぃー

幸せーがくるだろー♪

じゃなくて、

誰でも自己嫌悪になるわけですから、

そう考えてみれば、

ちっとも幸せじゃないわけです。

となってくると、

他人が思う幸せだけを求めても

それは己の幸せじゃないし、

逆に、己だけの幸せを求めてもダメ。

ということですから、

そこのバランスを取ることが

重要になってくるわけですねー。

それには、いずれにしても、

心を整えることができなければなりません。

どういうことかというと、

自分、自分と、己の欲望の虜になったり

逆に、人の目や評価ばかりを気にしていると、

心に波風が立ち、

心を整えることが難しいわけですから、

幸せを探ることすらできないわけです。

・・・・・

などと、エラそうに言っている拙者ですが

棺桶の蓋をされたときに、

どのように思うのでしょうかねー?

と考えてみると、

多分・・・、

変わらないーー いつまでもーー♪

というオチでしょうかねー。

(ちゃんとしろよ)

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