此れあれば彼あり、此れなければ彼なし。

此縁性(しえんしょう)

此れあれば彼あり、此れなければ彼なし。

此れ生ずれば彼生ず、此れ滅すれば彼滅す。

という言葉があります。

今、この世に存在しているということは、

必ず、生じた原因があるものですねー。

言い方を変えると、原因がなければ、

世に生じたという結果もないわけです。

後輩のおかげで先輩になれる

威張ることはないんです。という、

相田みつをさんの言葉がありますが、

まさしくこのことで。

子が産まれてきてくれたおかげで親になれ、

会社があってくれたおかげで会社員になれ、

彼や彼女がいてくれたおかげで恋人になれ、

学校があってくれたおかげで学生になれ、

弟が産まれてきてくれたおかげで兄になれ、

後輩のおかげで先輩になれるわけですねー。

縁起の法

原因があるから結果があり、

そして、結果があるということは、

必ず原因があるわけですから、

それを、日常の出来事で考えてみると、

例えば、子は両親のおかげで、

「子」として、生まれることができ、

子は生まれた瞬間に「親」を生む。

ということだったりします。

まあ、ようするに、

相互に依存しあい、影響を与え合っている。

ということになります。

また、拙者で考えてみると、

町を歩くという縁では通行人、

(不審者ではない)

車を運転する縁ではドライバー、

(馬じゃないのか?)

町奉行の前では・・・容疑者です。

(金さん助けて!)

このように、拙者も縁によって、

ある時は通行人、またある時は容疑者と、

様々に変化し続ける存在であり、

(金さん助けて!)

「純粋な拙者って、どこにいるの?」

と、聞かれると、

「純粋な拙者???」と、

返答に困ってしまうわけですねー。

自己紹介をしてみると

返答に困ってしまう拙者はさておき、

例えば、自己紹介って、

「○○に住んでいるよ。」とか、

「○○歳です。」という感じで、

自分のことを語りますよね。

というより、よく考えてみると、

誰ひとりとして、

「○○」という何かを使わず、

自己紹介ができる人はいませんねー。

例えば、自分は優しい人間です。

と、自己紹介すると、

「優しさ」という感情を持ち出して、

自分を説明しているわけで、

なんだ、自己紹介も己だけでは無理かー。

ということになるわけです。

縁がなければ成り立たない

こんな感じで考えてみると、

「己だけの力で生きているんだぜ!」

という人は、この世に誰ひとりいませんし、

(勘違いした人は、たまにいますが・・)

「誰の力にもなってない」という人も、

この世には、誰ひとりいないわけです。

つーか・・・、

それはさておき、拙者。

よく「役立たず!」と、言われますので、

なんだかホッとしてきましたが、

(ホッとしてて、いいのか?)

ようするに、

今、己があるのは、全ておかげさまであり、

他の人もみな同じということですねー。

また、人だけではなく、

物質的な方向から考えてみても、

今の拙者があるのは、

体を維持するために食べてきた、

全ての食べ物のおかげさまです。

例えば、茶碗一杯のご飯を食べるだけでも、

お米の生産者や、流通にかかわる人、

箸や食器、炊飯器、水、電気などなど、

ご飯が食べれるという状態になるまで、

様々にかかわってくれている、

全ての人の労力のおかげさまですが、

そのように考えてみると・・・、

例えば、今日の夕食に食べたものって、

どれだけの人の労力のおかげさまか?

ということになりますねー。

まあ、言ってみれば、拙者は、

縁がなければ何一つ成り立たない、

人間であるわけですが、

その反面、誰かに影響も与えている。

ということになるわけです。

人の道

この縁起の法が体に浸透してくると、

「自分だけの力で生きている」と、

物事を自己中心的に考えて、

勘違いするようなこともなく、

感謝の気持ちを育てていけます。

感謝の気持ちとは知足の道、

すなわち足るを知ることであり、

満足に至る道ですから、

新しいものを何も得ずとも、

今、目の前にあるもので、

感謝、ありがたし、を感じることが、

できるようになるということです。

そうなれば、無理矢理ではなく自然に、

己のことだけを考える、動物的な道を離れ、

「この感謝に報いたい」

と、思えるようになり、

やがて「世の恩に報いてこそ」という、

人の道を歩けるようになるわけですが、

拙者が歩けるのは、

せいぜい、ドックランでごザルかねえ。

(つーか、犬なのか?猿なのか?)

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