白隠慧鶴禅師

原の白隠

駿河には、過ぎたるものが二つあり、

富士のお山と、原の白隠

という、歌があります。

駿河の国(静岡県)の原宿というところに、

「臨済禅、中興の祖師」と呼ばれ、

また、過ぎたるもののひとつとうたわれた、

白隠慧鶴禅師がいました。

是非にと、お父様より請われて、

禅師が住することになった故郷の松蔭寺は、

もともと、白隠禅師が得度したお寺でしたが、

その当時は無住であり、雨は漏れ放題で、

非常に荒廃していたようです。

はじめは食うや食わずの苦しい生活で、

修行僧も亡くなることもあったようですが、

備前岡山藩主の池田継政さんをはじめ、

各地の大名が白隠禅師に帰依したりと、

白隠禅師の道声により、

少しずつ修行には不自由のない寺へと、

なっていったようです。

ああ、そうか。

ある日、白隠禅師に深く帰依する、

檀家である商家の主人が、

血相を変えながら、松蔭寺にやってきて、

「この生臭坊主!うちの娘をキズものにしやがって!お前の子供だ、受け取れ!」と言い、

赤ちゃんを置いていったそうです。

白隠禅師は、ただ「ああ、そうか」と、

その赤ちゃんを受け取り、

飴湯や米粉汁を与えたり、

村に行き、もらい乳をしながら、

その子を育てたそうです。

そんな白隠禅師の姿を見て、

「マジさいてー。マジまんじ。」と言いながら、

信者や修行僧なども、離れていったそうです。

(まあ、地図でお寺は卍ですけど)

まー、今ならネットでバンバン叩かれ、

「白隠禅師、引退。俗世間へ」

とかいう見出しの雑誌が出たり、

「よくもらい乳なんかに行けますよねえ」

「修行者として恥ずかしくないんでしょうか」

と、芸能人のコメンテーターに、

ばっさり斬られてしまうでしょうかねえ。

ああ、そうか。再び。

やがていくつかの季節が過ぎても、

白隠禅師は相変わらず、赤ちゃんを抱いて、

村で托鉢をしていたようです。

ある日、托鉢をする禅師の姿を、

たまたま、赤ちゃんの母親である、

商家の娘さんが見たようで・・・、

居ても立っても居られなくなったのでしょう。

「私も一緒に育てる!」ではなく、

「お父さん、ごめんなさい」と、泣きながら、

商家の主人の元に行ったそうです。

主人が理由を聞いてみると、

赤ちゃんの父親は、隣村の男らしく、

父が深く帰依する白隠禅師の名前を出せば、

許してもらえると思い、

安易な考えで禅師の名前を出したのだと・・。

さて、商家の主人。

これはいかんということで、

再び血相を変えて白隠禅師の元へ行き、

「大変申し訳ないことを」と、

泣きながら平謝り。

「子供は連れて帰ります」と申し出ると、

白隠禅師は、何事もなかったように、

「ああ、そうか。父がおったか。よかったの」

と、赤ちゃんを返したそうです。

自由にあるがまま

何も足さない、何も引かない

とCMをしていたのは、

サントリーのウイスキーですが、

濡れ衣を着せられ「マジまんじ」と言われ、

(マジまんじとは、言われてないだろ)

信者や修行僧が離れていっても、

一切、誰にも弁解をせず、

また、商家の主人も責めることなく、

マスコミを集めて釈明の記者会見も開かず、

(そりゃ、そうだ)

どっかの議員のように号泣会見もせず、

(政務活動費の疑惑会見ね)

「右耳を集中させますので」と、

耳に手を当てて・・・。

耳がでっかくなっちゃった!でもなく、

(マギー審司さんとまざっとるがな)

状況に左右されることがなく、

ただ「あるがまま」でいて、

「ああ、そうか」と、一切ブレることがない。

(やっと、ボケが終わったか)

ようするに、これが「空」という、

境涯だと思うわけですし、

あらゆる執着やこだわりから解放され、

本当の自由を得た方。ということですが、

JK風にいえば、もう、

「まんじからのまんじ」という感じですねー。

(なにがだよ)

拙者など、何かにつけては、

己を大きく見せようと、何かを足そうとしたり、

他人の目を気にして、

マイナスを無くそうとするものですが、

何も足さない、何も引かないと、

ただあるがままに、自由に生きるには、

ちっぽけな、己に対するこだわりや、

己に対する執着心と距離を取ることから、

始めないといけませんねー。

(なら、さっさとやりな)

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