個性と能力

凡夫、かく語りき

拙者のような凡人には、

特別な才能などありませんので、

気楽に好きなことをやっております。

「人生あきらめたのか?」と、聞かれると、

これといって、何もない拙者は、

世間に認めてもらおうとすること自体、

そもそも、無理なことですから、

「そうですねー」としか、

答えようがありませんが、

考えてみると、

人に認められたいという気持ちがあまりなく、

むしろ、気楽に生きたいと思っているので、

人に認められたいという気持ちが強くて、

他人を気にして、窮屈に生きるより、

いいのかなーと、思っています。

(ま、好きにすればいいじゃない)

己を貫く

人に認められたいなんて思わないで

己を貫くんだね。

という、岡本太郎さんの言葉が、

あるようですが、

己を貫く気持ちより、

人に認められたいという気持ちや、

バカにされたくないという気持ちが勝ると、

行動をためらうものでしょう。

「退かぬ!媚びぬ!省みぬぅー!」

という、名ゼリフを言ったのは、

北斗の拳の、聖帝サウザー様ですが、

というより、

うーん。ここまで言い切るか。というか、

改めて聞いてみると、

若干ウザいような気もしますが、

人に認められたいという気持ちを、

少し分析してみると、

己が凡人だと思っていて、

世の評価を得ることが、

できそうにないなー、と思うので、

まわりの評価に追従しようとする、

という側面もあるのではないでしょうか。

まあ、そういう側面は、

聖帝サウザー様には、全くありませんし、

己には才能もなく、ただの凡夫だけど、

人の評価にも興味ない。という、

頭のおかしい、拙者にもありませんが、

人の評価が欲しいっていうのは、

ようするに「自信がない」

ということかもしれません。

自信がないのは・・・

やってみたら、なんでもなかったじゃん。

みたいなことかもしれないのに、

行動しようという気持ちより、

失敗したくないという気持ちが

先に来てしまうと、

行動できないこともありますよねー。

雲のジュウザ様のように、

俺はあの雲のように、

自由気ままに生きるのよ・・・。

とまで、自信満々まではいかないとしても、

あまり目立たないようにと、

人と同じようなことをやっていては、

叩かれないかわりに、注目もされず、加えて、

いつまでも自信がつかない。という、

残念な結果になってしまうものです。

尖った生き方

そもそも、

世で評価されている人や商品の中には、

他で代えが利くような、

同じようなものはあまりないものです。

まあ、尖っているというか、

いい言葉ではありませんが、

「これじゃなきゃダメだ」と応援されるほど、

いってみれば、変態が多いわけです。

人に認められたい気持ちがあっても、

万人にはウケようとするな。

尖って、尖って、一部のマニアにウケろ。

ということではないでしょうかねー。

今、活躍している人って、

ほとんどがそうじゃない?と思うし、

個性こそ才能だと思うのです。

そうなってくると、

「己を貫いた結果、認められた」

というのは、問題ありませんが、

人に認められたい、

または、バカにされたくないという動機で、

世間に認められたというのは、

一時的にはあることだし、OKだとしても、

それ以降は、仮面をつけた違う自分を、

ずっと演じ続けていかねばならなくなるし、

自分らしく方向を修正しようとしても、

個性がわからなければ修正もできずで、

ちょっとどうかと思うわけです。

雲のジュウザ様のように、

我が拳は我流。

誰の真似でもなく、誰にも真似はできない。

それゆえ、誰にも読むことはできぬ。

という境涯までいけば、

「あなた様の代わりはどこにもおりませぬ」

ということになりますが、

拙者などは、あのケンシロウの名ゼリフ、

「お前の眼はくさった魚のようだ」

と、言われて、お・し・ま・い。

という程度でしょうかー。

(セリフが、まったく違うよな。)

(ていうか、誰に言われたんだよ)

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