いのちは同じですという話

東大寺の別当さまが

おっしゃられた言葉の中に、

次のような一節があったと思う。

たとえ一握りの砂でも、

一本の花でもいい。

自ら参加したいと思うものは

全て受け入れる。

これは昔の高僧がいわれた言葉らしいが、

これを目にしたとき、一握りの砂でさえ、

同じ「いのち」として受け入れる

という考え方に、はっとした。

かつての翔子の、

ある体験を思い出したのである。

以前、翔子が散歩している途中で、

犬を連れたご夫婦に

お会いしたことがあった。

翔子は、そのご夫婦にあいさつをして、

たまたま持っていた

自分の名刺を差し上げたあと、

犬にも「どうぞ」と名刺を出した。

この話をすると、たいていの人は爆笑する。

しかし、私は決して

笑い話をしているわけではない。

これはとてもすごいことだと

感心しているのだ。

つまり、翔子にとって、

生きているものは全て平等なのである。

ペットの犬を家族と同じように

考えている人はたくさんいる。

しかし、犬に名刺まで渡そうと考える人は

この世の中にどれぐらいいるだろうか。

普通は

「犬に名刺をあげたってわからない」

と思うに違いない。

人間と犬を完全に同一視している人は

まれだと思う。

私自身、講演の中で

「いのちは同じです」と語りながら、

犬や、まして砂の「いのち」まで

考えたことはなかった。

金澤泰子さん、金澤翔子さん著

海のうた 山のこえ

同じいのち

全ての生きとし生けるものは

幸せでありますように。

という言葉がありますが、

犬も拙者も、

同じ生きとし生けるものであり、

まさに自他不二ですねー。

文中には、犬に名刺を渡す、

金澤翔子さんの逸話が綴られています。

一握りの砂でさえ、同じ命として受け入れる。

という、高僧の言葉を引用されていますが、

「この世のすべては同じエネルギーで一体」

と、考えることはできていても、

その思考がまだ、

己の体全体に浸透をしていないので、

拙者も自慢ではありませんが、

名刺の逸話を聞いて、

爆笑する人間のひとりです。

これではいかんですねー。

これは、あかんやつです。

宮川大輔さん風に言えば、

「アカーン!」ってことですねー。

命に価値をつけるという行為

爆笑する拙者がおかしいのか、

同じいのちと思う人がおかしいのか、

答えを考える必要はありませんが、

この境涯まで己を高めるには、

まだまだ時間がかかりそうです。

また、文中には、

このようにも書かれています。

人間は、自分たちの「いのち」だけが

この世で特別だと、

どこかで思い込んでいる。

ともすると、

人間の「いのち」にも上下をつけて、

高学歴だったり、家柄がよかったり、

社会的地位が高かったりするほうが

「いのち」の価値は高いとさえ考えがちだ。

うーん。

情けない話ですが、

この考え方が、いわゆる普通であり、

いってみれば、世間の常識ってやつですねー。

ようするに、

「いのちに価値をつける」ということですが、

根性のひねくれた拙者は、

価値をつけるって、弱肉強食の動物の世界かよ。

と、思ったりします。

ま、ふつーに考えてみると、

それぞれの命に価値をつけれるほど賢く、

俗人には行くことのできない、

てっぺんにいる崇高な人間がいるんかい?

という話で。

拙者も凡夫、お主も凡夫なのに、

何の資格があって格付けするの?と思うし、

それと同時に、そんなこともわからない、

つまらない人間がつくる価値観に、

右往左往する必要は全くなくね?

とも、思うわけですねー。

ま、宮川大輔さん風に言えば、

「アカーン!」ってことですねー。

(またですか?)

道の上の精進

犬に名刺を渡す翔子さんを見て、

「これはとてもすごいことだ」と、思われた、

お母様の泰子さんもすごいですが、

こういうことをあっさりと語れる、

金澤泰子さんのような方がいることは、

油断をすると、すぐに動物的な生き方に、

流されてしまいそうになる、

「あかーん」拙者にとって、

進む道を示していただける、

本当にありがたい存在です。

「拙者も凡夫、お主も凡夫」

という道のため、

宮川大輔さんの「アカーン!!」という

LINEスタンプを買って、

己を戒めていきたいと思うでござるよ。

(LINE、やってないだろ)