相手を鬼と見れば、己もまた鬼。そして名もなき兵士の詩

相手を鬼と見る人は、自分も鬼

「相手を鬼と見る人は、自分もまた鬼である」

という、浄土真宗大谷派の僧侶、

曽我量深師の言葉があります。

相手を鬼だと思えるということは、

己を鬼だとは思っていないわけです。

ようするに、己は善人だから、

相手を鬼だと責めることができるわけですねー。

人間は神や仏ではないから、

こうして人間をやっているのに、

そのことを忘れ、相手だけを鬼だと責める。

己も鬼だと思われるような所業を、

過去にやったことがあるかもー。とか、

つらいことが、一気にどっかーんときたら、

もしかしたら自分も、やってしまうかもー。

ということは、すべて横に置き。

「私は善人、あんた鬼!」

と、きっぱり言い切れるということは、

慢心しているということです。

努力、精進を捨て、慢心した時点で、

もはや人ではない!

相手を鬼と見るなら、自分もまた鬼。

「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい!」

という感じなんです。

あの人いい人?悪い人?

生きていると、いろんな人に会いますねえ。

そしてその中には、いい出会いもあれば、

つらい出会いもあると思います。

でも、同じ人に会っても、

「あの人サイコーよね」と、

同じように共感できる人ばかりではないし、

また「あの人サイテー」と思ったとしても、

「そうでもなくね?」と、思う人もいる。

そんな人がいる一方、

「こちらにおわすお方をどなたと心得る!」

みたいな方もいたりする。

ま、そういうのが世の中というものですが、

ご老公は別としても、

ようするに、良し悪しに厳格な基準など

ないということであり、

良し悪しを決めているのは、

己の価値観や考え方だよねー。

ということになります。

ということは、

「考え方が変われば評価も変わる」

ということになるわけです。

名もなき兵士の詩

南北戦争に従軍した、

南軍の兵士が書いた詩といわれる、

「名もなき兵士の詩」という詩があります。

「名もなき兵士の詩」

大きなことを成し遂げるため

強さが欲しいと神に求めたのに

謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

偉大なことができるようにと

健康を求めたのに

より意味のあることができるようにと

病弱を賜った

幸せを求めて富を求めたのに

知恵のある者になるようにと

貧困を授かった

人々の称賛を得ようと

力と成功を求めたのに

謙虚であるようにと失敗を授かった

人生を楽しむために

あらゆるものを求めたのに

あらゆることを楽しめるようにと

生命を授かった

求めたものはひとつも与えられなかったが

祈りはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず

心の中の無言の祈りは全て叶えられた・・・

私はあらゆる人の中で

最も豊かに祝福されたのだ・・・

という詩なのですが、

先ほども書きましたが、

「考え方が変われば評価も変わる」と同じで、

ようするに、モノの見方を変えてみたら、

「なんだ。俺って、幸せだったじゃん」

という詩です。

ポジションチェンジ

「ポジションチェンジ」というワークを

御存じでしょうか?

まず、椅子や座布団などを3つ用意、

そのうち2つは向かい合って配置します。

最後の1つは両方の中間点、

ちょうど三角形になるように配置します。

ようするに、当事者Aさん、当事者Bさん、

そして中立のCさんという感じの配置です。

最初の場所は自分の場所、

向き合った場所は悩みがある相手の場所、

その次は第三者の場所ですねー。

まずは、自分の場所に座ります。

仮に、うっかり八兵衛の場所とします。

「ご隠居ー、ちょっと待ってくださいよー。まだ食べてないんですからー」

と、悩みがある相手に対して、

(ご老公にかい!)

好き放題に言います。

(言うんかい!)

もうそれは、大人は1990円で食べ放題の、

すたみな太郎状態です。

(それは好き放題じゃなく食べ放題)

そして、気持ちがスッキリしたら、

次は悩んでいる相手の場所に移動します。

ようするにご老公の場所です。

ここでは、

相手の気持ちが乗り移ったかのように、

ご老公の気持ちを想像してみてください。

「なぜ、急いでいるか。実はの・・・」

などという感じで、

まるで、ご老公になったかのように、

相手の立場から想像した気持ちを

己(八兵衛)に向けて話してみます。

その時点で、

「あれ?あっしの考え方って、あっしだけの目線だった?」

と、気づく人もいます。

そして最後は第三者の場所に移動。

弥七さんでも、格さんでも、

誰でもいいのですが、

「まあ、まあ、まあ」といった感じで、

双方に対して冷静な意見を出します。

この位置は、感情が入らない位置ですので、

冷静に双方を見ることができると思いますが

まあ、いつもであれば、

悪代官と善良な民に挟まれている、

ご老公の場所ですねー。

「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」

ってセリフ、一度は言ってみたいものですが、

このセリフを言う前に、

ご老公は双方を冷静に見ているわけですねー。

このワークをやってみると、

「独りよがりだったねえー」

ということに、気づけたりします。

そして少なくとも、ワークをする前より、

物事や相手を冷静に見れるように、

なっているのではないでしょうか?

拙者もしばしばこれをやり、

相手を鬼にしないようにしています。

相手が鬼だと思わない己なら、

鬼にならなくて済みますし、

また、相手が鬼でなければ、

「ええ~い、控えーぃ!控えおろうー!」

と、言わなくても済むし、

紋所を持ち歩かなくても済みますから。

(ていうか、いつから格さんになった?)

ということで、

今日は長文を書いてしまいましたが、

相手が鬼に見えるという目線を持っている、

あなたも鬼じゃないでしょうか。

己が仏ゆえに、相手の仏性が見え、

己が善人ゆえに、相手の善性が見える。

と、いうものだと思うわけです。

拙者はどう見ても、

愚か者にしか見えないって?

こいつぁうっかりだ!

(大正解です)

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