道の人と、まだ道の上の人

「ざわめきから離れている」

神いわく、ー

この世において

争うことのない人々はだれであるか?

だれの生活が滅びないのか?

この世で、だれが欲求を

知り尽くして(なくして)いるのか?

だれに常に自由自主性があるのか?

母、父、兄弟が、

道に安住しているかれを敬礼し、

たといこの世で生れが卑しくても、

王族がかれに恭しく挨拶するならば、

その人は誰であるか?

尊師いわく、ー

道の人は、この世において、

ざわめきから離れている人である。

道の人の生活は滅びない。

道の人は、

欲求を知り尽くして(なくして)いる。

道の人たちには、自由自主性がある。

母、父、兄弟は、

道に安住している道の人を敬礼し、

たといこの世で生れが卑しくても、

王族たちは、道の人に恭しく挨拶する。

ブッダ神々との対話 中村元先生訳

前略、道の人より

道の人ならば、

欲の支配から抜け出しているので、

欲のために争うことがないし、

また、己の欲を優先し、我慢して、

己を抑えて選択をすることはないので、

いつも自由に選択することができ、

いつも、自主性を持って生きていけるので、

例え、生まれがいくら卑しい人であろうと、

母、父、兄弟や王族が、

恭しく挨拶をするほど、尊敬される。

ということですが、

「彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず」

と、説いた孫子のように、

欲のメカニズムを知りつくして、

己の現状もきちんと知った道の人は、

欲と百回戦っても、

欲に敗れることはないものでしょうねー。

まあ、拙者などは愚かな凡夫ですから、

欲に打ち勝つことができる、

道の人の境地は難しいとしても、

せめて道の上の人であって、

欲と距離を取り、欲に支配されずに、

生きていきたいと願っているわけです。

まあ、ようするに、

さーき誇る はーなーはー

散るからこそに美しい♪

という感じですねー。

(それは「前略、道の上より」の歌詞だろ)

前略、欲の人より

一方、拙者は、欲に支配されているので、

己の欲を満たしたいという気持ちが勝ち、

「くれよ、くれよ」と、

しょうちゅう争いをしながら、

「思い通りにならないよー」と、

常に不自由を感じて生きています。

こうやって書いてみると、

非常に気持ちが悪いものですねー。

(人ごとか!)

また、そのように、

欲に人生を支配されてしまっているので、

自主性はどこかにいってしまいました。

欲に支配されると、いろんなものを失うが、

かといって、欲を手放したくはないほど

欲に支配されている。という状態ですが、

もう、

うーみを潜るーにはー

息を止めなきゃ潜れないー

いーきーを止めるのがー

嫌なら海には入れない♪

という感じですねー。

(だからそれは、一世風靡セピアね)

だから海には入れない

息を止めるのが嫌な拙者ですから、

それ以外の楽な方法で海に入ろうとします。

尊敬をしてもらおうと、

ブランドの服を着て歩いていても、

誰も見向きもされず、

「おい、勝俣」という感じで、

哀川翔さんのように、

挨拶などしてはくれないものですから、

もう、

そいや!そいや!それ!それ!

です。(なにが?)

まあ、道の人と正反対の行動を、

しているわけですから、

道の人と正反対の結果を得るのは、

全く、道理であるわけですが、

拙者も道の人は無理でも、

せめて道の上の人ぐらいには、

ならなければなーと思っております。

さてこれから、

近くの神社でとんど祭ですので、

「はれのひ」で着た晴れ着で、

お餅をいただいてこようとと思います。

(やめなさい)