心の成長と体の成長は違います

心の成長

人間的に成長していきたいなー。

と、思いながら、日々を生きている人って、

どれぐらいいるんでしょうかねー?

まあ、そう多くはないでしょうし、

本当かどうかはともかく、

少ないよ。という、データもあったりします。

人が最後を迎えるときに神が知りたがるのは、

その人が物持ちだったかどうかではない。

とかいう言葉を、

アメリカのオプラ・ウィンフリーさんが、

言ったとか言わないとか・・。

ウィキペディアによると、

オプラさんは資産家だったようですが、

「貧乏と言えば拙者」というぐらい、

貧乏に造詣が深い拙者が、この言葉をいえば、

「ふーん」と言われてオシマイ。

てなもんですが、

(造詣みたいな高尚なもんではない)

資産家のオプラさんが言えば、

「少しは聞いてみようかなー」という気持ちに、

なれそうですよねえ。

己が旅立つとき

カロリーオーバー 悲しいけれど

終わりにしよう キリがないからー

ということで、(なにが?)

拙者がこの世に別れを告げ、

旅立つときのことを、想像してみると・・。

お別れに集まってきてくれた人が、

「いやー、欲張りな人だったねえ」

などと、思い出話をすると思いますが、

(ていうか、来てくれるのか?)

みなさんは、

どのように話してもらいたいですか?

「○○なことは、言われたくないなー」

などという思いが、

それぞれあるのでは?と思いますが、

それを逆から考えてみると、

「どう生きたいと感じているか?」

ということに、なるのかもしれませんねえ。

あの世に持っていけない

カロリーオーバー わけなどないよ

ただひとつだけ、あなたのためー

ということで(そろそろお正月ですねえ)

あの世に行くときは、

今持っている物質的なものは、

すべてこの世に置いていくことになりますが、

あの世に持っていけないにもかかわらず、

拙者など「○○が欲しい」と考えてしまいます。

「○○が欲しい」というのはいいとしても、

「○○がどうしても欲しい」ぐらいまで、

欲望を育ててしまうと、そこからは、

欲望に支配された人生のはじまりです。

カロリーオーバー 若いあやまちと

笑っていえる 時がくるからーと、

笑ってられるうちはいいのですが、

笑えない年まで支配されてしまうと、

(お主だ、お主)

西の風、後に北西の風やや強く、

体も心もおかしくなってくるでしょう。

体の成長

人間的に成長していきたいなー。

ということは、ほとんど考えることなく、

日々を生きていくということは、

ようするに、肉体的な年齢を重ねていくだけ。

ということになります。

そして、そういった生き方を

成長なんて言ったりもしますが、

おやつなんかでごまかさないでー

鏡で自分を じっと見つめてー

みたいな感じで、

成長というより、ただ肉体が育った。

体が年を取ったということですよねえ。

巣にエサをためる動物のように、

持ち物を増やしたり、

たくさん食べて体を大きくすることも、

人間には必要なことですが、

人間にしかできない成長って、

もっと他にあると思うのです。

そういうの第一にして、それ以外はその次。

欲とそういう距離感で付き合える人って、

己を整えることができる人だと思うし、

そんな人を見て己を高めていければいいなと、

拙者は思って生きているわけです。

オプラさんが言う、

人が最後を迎えるとき神が知りたがるものって

そういうことじゃね?と思うのですが、

きっとあんたに お似合いの人がいるー

と、拙者のそばにいるのが、

第一欲男さんや、欲子さんだと、

カロリーオーバー 泣くな拙者だろー

となってしまいますので、

元気でいてねーと、言えるように、

精進したいものでござる。

(ちゃんとしろよ!)

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