人は奪い合い、戦う。

人は奪い合い、戦う。

勝った者は、その財産を護りふやすのに

あくせく身をやつし、

負けた者は、飢え苦しみ、ともに疲れる。

そして人は、心の安らぎを求め、さまよう。

星充さん著 聖書の知恵

勝つ者

人は奪い合い、戦う。とありますが、

まあ、人でなくても、

大自然の中では日常的に行われています。

そんな感じで考えてみると、

地球に生きとし生けるものは、

奪い合い、戦うということになりますねえ。

まあ、まさに、

トムとジェリーの世界ですねー。

(なにが?)

人であるということ

江戸時代では、

「人といえば武士のことを指す」

というような感じだったようです。

それは、武士ではない人たちを、

侮辱するといった感じではなく、むしろ逆で、

例えば、スコップの柄を踏んで、

顔にスコップの先が命中。

そりゃあトムの顔は、スコップの形になるさ。

みたいなもんで(どういうこと?)

武士に対して、

世間がそれなりの規範や行動を求めた。

ということのようです。

規範や行動とは、勇猛さや道徳心、

責任感などという、ようするに、

「人としての立ち振る舞い」

みたいなものでしょうかー。

例えば、武士は借金をするときに、

証文は書かなかったといわれます。

約束はきちんと守るのが、

武士の当然の行動ですので、

証文を要求されるということは、

信用されていないと考えられ、恥とされました。

証文などなくても、返すのが当たり前。

武士を見損なうな。といった感じですねー。

そして、そういう行動をする武士は

人と呼ばれた。

まあ、士農工商という制度によって、

武士が一番上に位置づけられたのも、

一因だとも思いますが、言ってみれば、

一番上にいる以上、それなりの行動をせんかい!

ということだったようであり、

ようするに「ネコはネズミを捕る!」

ということだったようです。

(なにが?)

人でなし

人でなしとは、

ようするに「人でない」ということです。

人間の心を持っていない人、

根性が腐っている人、恩義を感じない人などと、

散々な言われようですが、

人でないということは、

言ってみれば畜生ということですねー。

畜生以外にも、鬼畜とか、狼藉者とか

スパイクやブッチやマッスルなど、

いろんな呼び方がありますが、

(後半は違うよな)

自ら書いておいてなんですが、

なんだか己自身のことを書いているようで、

気分が悪くなってきましたー。

まるで、お手伝いさんに追いかけ回される

トムのようです。

他にも、人非人、

ようするに「人に非ずな人」と、

言ったりしますが、

江戸時代あたりで「人である」ということは、

厳しいものであったようですねー。

人と畜生

さて、奪い合ってる人が

人であるかという議論はさておき、

奪い合っているさまを横から見ていると、

まるで、お手伝いさんに、

ほうきでお尻を叩かれるトムのように、

やっていることが、

あまり変わらないように見えますねえ。

食べなきゃ生きていけないのは、

人間も同じですので、

それをどうのこうのとは言いませんが、

例えば「もっと欲しい、さらに欲しい」などと、

己だけの欲望を満たすことを、

人生の目標にして、追求し始めると、

生き方が人間から離れてしまいますねー。

まあですが、

常にその方向に流されてしまいそうな、

弱い心を持っているのが、人間というものだ。

とも思うのです。

奪い合いの世界は共に苦しむ

このように考えてみると、

人間とは、どうしようもなく愚かなものです。

だから、奪い合って生きる人がいるのでしょうが

奪い合って勝った者は、

その得たものを奪おうとする者から守ったり、

得たものを増やすことを考えたりして、

不安になりながら、あくせくと生き、

負けた者は、得ることができなかったので、

「くそー、腹立つわー」と、心を乱れさせ、

勝った相手を憎んだり、嫉妬したりして苦しむ。

それって、その世界にいない者からすると、

「結局、双方ともに疲れとるがな」

というオチですから、

「ごくろうさま」としか言葉がないのですが、

奪い合いの世界から抜け出すために、

たくさんの偉大な賢者が、

智慧をたくさん残してくれています。

それはまあ、ようするに、

「トムとジェリー♪ 仲良く喧嘩しな♪」

ということなのですが、

痛い目にあわされ「アアアアアーッ!!」と、

トムのように叫び声を上げている、

今日この頃であるわけです。