現世の利と来世の利

(あるとき尊師は、)

サーヴァッティー市に住しておられた。

そのときコ―サラ国王パセーナディは、

1ドーナの量の炊いたご飯を

食べるのを常としていた。

さてコ―サラ国王パセーナディは、

食べおわって、大きな息をついて、

尊師のもとにおもむいた。

近づいてから尊師に挨拶敬礼して、

傍らに坐した。

そこで、尊師は、

かのコ―サラ国王パセーナディが

食べおわって大きな息をついたのを知って、

そのとき次の詩を唱えた。

「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を(節することを)知っている人にとっては、諸々の(苦痛の)感覚は弱まってゆく。寿命をたもちながら、徐々に老いる。」

そのとき若き学生スダッサナは、

コ―サラ国王パセーナディの

背後に立っていた。

そこでコ―サラ国王パセーナディは、

若き学生スダッサナに告げた。

「さあ、スダッサナよ。お前は尊師のもとでこの詩を習って暗記して、わたしの食事のときに唱えよ。わたしはお前に、毎日の手当てとして、百銭ずつ常時の給与をしてやるよ」と。

「王さま。かしこまりました!」と、

若き学生スダッサナは、

コ―サラ国王パセーナディに答えて、

ついで尊師のもとでこの詩を習って暗記して、

コ―サラ国王パセーナディの

食事のときに唱えた、

「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を(節することを)知っている人にとっては、諸々の(苦痛の)感覚は弱まってゆく。寿命は徐々に老い朽ちて、過ぎ去って行く。」

そこでコ―サラ国王パセーナディは、

順次に食物の量を減らして、

ついには1ナーリカの飯だけに

制限するに至った。

さてコ―サラ国王パセーナディは、

のちの時期に身体が健やかになり、

手で身体を撫でて、

その時にこの感興のことばを発した、

「尊師は二つの利を以てわたしをあわれんで下さった。目のあたりに見る現世の利と、来世の利とで」と。

サンユッタニカーヤ 「大食」

中村元先生訳

年末年始は・・

「やってきました、漢方の季節!」

「いってみよー!」

と、言われると、いかりや長介さんなら、

「ババンババンバンバン」であり、

(漢方、まったく関係ない)

田中邦衛さんなら、

「食べる前に飲む!」ですが、

みなさまご機嫌いかがでしょうか?

(最近は「いくぜ漢方!」だろ)

年末年始は忘年会や新年会など、

なにかと食べたり飲んだりする機会が、

なにかと多くなるものですが、

体調にはお気を付けくださいねー。

ほどほどの距離感

まあ、何事もそういうもんでしょうけど、

ほどほどに距離を取って、

何事も楽しめればいいんでしょうが、

例えば、大食をして、体調を悪くすれば、

なんのこっちゃという感じですねー。

酒は飲んでも飲まれるなといいますが、

欲はあっても、支配されるなということで、

普段から己を整え、欲と距離感を保つことは、

結局、己を自由にし、

苦を手放すことになるわけです。

まあいってみれば、

酒は呑め呑め 呑むならばー

日の本一の この槍をー

呑みとるほどに 呑むならばぁー

これぞまことの黒田武士

ってことですねー。

(ちょっと何言ってるかわからない)

過ぎたるは・・

黒田節に歌われている森里太兵衛さんのように、

三升の大杯を飲み干し、

日本号の槍を褒美にもらってくるなら、

酒に飲まれていませんが、

(なんでも、おかわりまでしたとか)

凡人の感覚であれば、

三升も一気に飲み干せば、

「記憶にございません」という感じで、

どっかの政治家のようになるのがオチですねー。

過ぎたるはなお、及ばざるがごとし。

というように、

何事もやり過ぎるってこたあ、

やってないないことと同じくらい、

よくないことでござるー。

というのが、拙者の感覚ですが、

美味しい食事が目の前にあって、

お釈迦様の教えもここにあるのですが、

拙者のそばには残念なことに、

学生スダッサナさんはいません。

「食べる前に飲む」も、ありがたいのですが、

どこかに学生スダッサナさんは、

いないものでしょうかねー?

ただ、給与は払えないのですけれど・・・

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする