一方聞いて沙汰するな

独りよがり

大河ドラマ、篤姫のセリフで、

「一方聞いて沙汰するな」という、

篤姫さんの母、お幸さんの言葉があります。

それがし、ちょくちょく

相談ごとを受けるのですが、

その多くは、人間関係の相談です。

(まあ、そうでしょうねー)

そんなとき、いつも思い出すのが

「片方聞いて沙汰をするな」という言葉です。

片方聞いて沙汰をするなって、

どういうことかというと

ある人から、相談を受けてはいますが、

ある人だけから受ける相談って、

結局、その人の主観でしかないわけで、

相手側の考え方や感情が、

全く見えてこないわけですよねー。

仮に、つとめて冷静に、己の非も認めつつ、

相談する人であれば、まあアレですが、

(そういう感じだけど感情的な人もいます)

感情的になり一方的な見方で相談されても、

判断ができないので、

「愚痴なら聞きますよ」ぐらいしか、

言いようがないわけです。

人間関係って、双方揃って目の前にいても、

うまくまとまらない事が多いのに、

片方だけの情報で、意見を言うことは、

無理でしょう。という感じなんですね。

一方聞いて沙汰するな

「一方聞いて沙汰するな」

という言葉には、まだ続きがあります。

一方聞いて沙汰するな。

どんな人の声にも

まんべんなく虚心に耳を傾け、

その人、その人の身になって

よくよく考えるのです。

それでも思い迷うたら、

考えるのをやめなされ。

考えるのではなく、感じるのです。

自分を信じて、

感じるがままにまかせるのです。

というセリフです。

我が生き方を振り返ってみると、

エラそうに書いている拙者ですが、

普段は、一方を聞くどころか、

己の声だけしか聞こうとしないので、

その人の身になって考えることはできず、

独りよがりに生きておりますねー。

そのうえ、何か起きると、

己が神か仏かというように、

人を責めたりしますので、

もう「幼稚の極致」ですねー。

(人ごとか?)

ひとつの出来事のある一面だけを見て、

こっちは善い、あっちは間違っていると

善悪を語ることは、ぶっちゃけ、

誰にでもできることですが、

それを言いかえてみると、

ある一面しか見ていないのですから、

善悪という大きなテーマではなく、

ただの主観で語っているということです。

気にすることはない

ようするに、何が言いたいかというと、

己に恥ずかしくない生き方をしているなら、

たかだか一面しか見てない人から、

あれこれと沙汰をされたとしても、

銭のないやつぁ俺んとこへこいっ

俺もないけど心配すんな♪

というように、

まったく気にするこたーない。

ということが言いたいわけです。

己の行動について沙汰をされると、

「ただの主観じゃないか、あはははー」

で、済めばいいのですが、

そうもいかないこともありますねー。

ですが、片方だけの話で軽々しく

右だ左だと決めるような人が何を言っても、

気にすることはなく、

そのような人にあったら、(拙者ね)

智慧がない人なのだと考えて

相手を責めないことです。

「いやー、だけど、まわりがその話を信じて、白い目でみるんだけど。」

ということも、よくあることでしょうが、

「はい、それまーでーよー♪」とは、思わず

それを信じて疎遠になっていく人は、

類は友を呼ぶで、

同じく表面的な軽々しい人なんですから、

離れてくれてよかったんじゃないの?

ということです。

己の心に曇りなく、光を持って、

日々を生きているのなら、

誤解されてもよくないですか?

「軽々しく判断する迂闊な人があちらです」

という感じでいいんじゃない。

と思うわけです。

心に曇りなく、光を持って生きているなら

いつでも自分の行動を白日の下に出し、

世に問えるという自信もあるはずですし、

むしろ、迂闊な人に付き合って、

誤解にうろたえたり、

迂闊さんのことを責めてしまうようでは、

己に傷をつける行為になってしまいます。

ようするに、

もし自分が沙汰をされる側になっても、

そのような生き方を日頃から心がけていれば、

何を言われても己は揺るがないし、

逆に相手が揺らいでしまうわけですが、

ま、仮に己が揺らいだとしても、

そのうちなんとか、なるだーろーうー♪

ということですよー。

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