愛することと愛されること

愛すること

愛することと愛されること

どちらが幸せなんだ?って、

考えたことありませんかー?

それがしは、どちらも幸せだと思いますが、

みなさんはどう感じているのでしょうか?

ていうか、愛するにしろ、愛されるにしろ、

己を愛することができなければ、

愛ではなく欲になってしまいますね。

(ちょっと何言ってるかわからない)

そろばん勘定

それがしは、そろばんが、

昔からあまり好きではありません。

ていうか、できないんだろう?という

ご指摘もあるようですが、

「おっしゃるとおり!」で、

幼き頃から計算は苦手でしたざんす。

それに関係してるのかは、さておき。

人間関係を損得で見る人は、

あまり好きではありません。

まあ、あまり好きではないというだけで、

否定するつもりは全くありませんし、

勝手にしやがれ程度です。

人間関係を損得で見るって、

どういうことかというと、

恋をするのも ソロバン勘定♪

てな感じで、例えば、

「○○をしてあげると、○○が期待できる?」

と、計算して行動をするわけです。

そうなると、その行動が素晴らしくても、

「見返りを期待しているから」という、

前提がつきますねー。

ようするに、基準が己であり、

相手を思いやっているのではないのですが、

そぅいう人って、当たり前ですが、

「自分のためだよーん」とは絶対に言いません。

損得勘定のうえに嘘つきなんですよねー。

あなたのためよと言いながら、

すべて己のためなのさ。というわけ

ざんす ざんっす さいざんす♪

そういう人が口にする愛って、

欲のことだと思いませんか?

己を大切にする

欲を満たすことを優先してしまう、

動物的衝動が強い人って、

本当に己のことを大切にしているとか、

己の人生を大切にしているって、

言えませんよねー。

人間も動物のうちですから、

動物的衝動が悪いとは言ってませんが、

動物であって、人間でもあるなら、

動物的衝動ばかり求めるっていうのがねー。

ということです。

いってみれば、

動物的衝動を強く求めて生きることは

人間じゃなくてもできますが、

人間じゃなくてもできるなら、

人生を大切にしてるって、

言えないんじゃないの?

ということになります。

(ねえ さいざんしょ ねえ♪)

そんな感じで考えてみると、

あたしゃ貴女にアイ・ブラ・ユー♪

といいながらも、

愛という言葉の裏に隠れているのが、

実はお金を持ってるからという欲だったり、

綺麗だからという欲だったりするよねー。

となり、また、そういうのを求める人は

「己もそうならなければ、モテない」

と、思うものでざんす。

中身か外見か

ようするに、お金があるからモテる。

綺麗だからモテる。

だから、お金持ちや、綺麗になりたい。

そうなってしまうと・・・、

もうどこにも「本人」っていう言葉は、

出てこないんですよねー。

これじゃベリベリ ノーキャンドウー♪

ということですが、

本人以外が優先されてしまう人生って、

どうなんでしょう。

人生とは己の歩いた足跡ですから、

人生を大切にできなければ、

己も大切にできていない。と、なりますとー。

同じ価値観でモノゴトも見るでしょうから、

他人も大切にはできないし、

他人の人生も大切にはできない。

そういうわけで、冒頭に書いた、

己を愛することができなければ、

愛ではなく欲になってしまいますね。

という言葉に、つながってくるわけざんす。

愛することと愛されること

ということで、

動物的衝動を第一に生きている人は

お金や綺麗さという、

欲を愛しているわけですから、

そこに「本人」はないわけです。

ですから、欲を優先する生き方の前には、

あなたが愛されるはないし、

また、そういう人を愛しても、

あなたを愛してはくれませんから、

愛することと、愛されることは、

己と人生を大切に生きている人が相手なら、

どちらでも幸せになれるでしょうし、

欲を愛して生きている人が相手なら、

恋をするのも 家庭の事情♪ですから、

仮に、最初はよくても、

あてが外れりゃ アイアムソーリー♪

に、なることがあるものですから、

欲を共に追求する、ビジネスパートナーなら

幸せじゃない?ということ、ざんーすー。

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