本当に偉いのは誰か?

私は山下清さんに

ある雑誌を見せてやりましたが、

雑誌のグラビアを眺めながら

彼はこんなことをいうのです。

ここに勲章をつけている人と

つけていない人がいるけれども、

勲章をつけていないほうが

大変偉そうに見える。

勲章をつけているほうが偉いはずなのに、

なぜそう見えるのだろうか、

という疑問なのです。

誰のことをいっているのだろうと

私がその雑誌をのぞいてみますと、

勲章のないのは大正天皇で、

勲章をつけているのは山形有朋でした。

私たちは勲章をつければ偉いという

見せかけの権威を信用しがちですが、

素直な心で見れば

本当に偉いのは誰かということが

わかるものです。

勲章だけにかぎりません、

むやみに金バッチをつけたがる人、

名誉職につきたがる人ーー

中身のない者ほど

外側を飾ろうとしているのだと

いうことだろうと思います。

高田好胤師著 道

中身と見た目

人間は顔や形ではありません!

大切なのは・・・・、見た目です。

という、持ちネタがあるのは、

綾小路きみまろさんですが、

最近は結果にコミットしたり、

両手を上にあげて歩いたり、

やれサプリだの、整形だのと、

見た目バンザイな世の中で何よりです。

それがしの場合、馬子にも衣装、

鬼瓦にも化粧だということを、

よく理解しているので、

まあ、はじめから無理なのですが、

今日はウンチクPRをしようと、

エラそうにことわざを書いております。

嚢中の錐というように、本物や能力がある人は、

大勢の中にいても自然に目立つものですが、

(まだ書くか?)

拙者は「自らPRしてなんとか」ですから、

やっぱり、馬子にも衣装ということですねー。

(ちーん)

ちなみに「馬子にも衣装」とは

衣装を整えれば馬子でも立派に見える。

という意味ですが、馬子とは、

「馬を引き荷物を運ぶ人」という

職業のことですので(孫じゃない)

「あら、おきれいですよー」という感じで、

ほめ言葉として使うには、ちと不向きです。

また「鬼瓦にも化粧」とは、

器量がわるくても、化粧でそれなりに見える。

という意味で、いってみれば・・・、

「美しい人はより美しく。そうでない方は・・」

「そうでない方は?」

「そうでない方は、それなりに。」

みたいなもんでしょうかー。

(そろそろお正月ですよー)

本物はどこにいても

山下清さんは拙者のように、

欲にまみれ、欲を追いかけた生き方を

しなかった方でしょうから、

損得や名誉などという価値観を入れず、

素直に感じることができる方だったのでしょう。

まあ、中身も外見もちょっとひどすぎて、

手が付けられない拙者からすると、

「大正天皇と山形有朋卿、どっちもすげえ」

と、感じてしまうので、

仮に同じ質問をされたとしても、

箸にも棒にもかからないんですけどねー。

(まさに最下層)

ていうか、さらに、

それをごまかそうと、結果にコミットしても

結局、誰も反応すらしてくれない。という、

悲しい悲しいオチが待ってます。(ちーん)

ちなみに「嚢中の錐」とは、

袋の中にキリを入れておいても、

気づいたら袋を突き破っているように、

優れた人は大勢の中にいても、

自然に目立つもの、という意味ですが、

箸にも棒にもかからぬそれがしは、

こういうの、かっこいいと思うわけです。

ボロは着てても

このように考えてみると、

あの健康食品、この健康食品を口にして、

どれが効いたかわからないような拙者はまず、

心を磨き、精進することだろー。ということで、

ま、やっていきたいと思いますが、

(なんか軽いな)

中身がない者が、いくら外側を飾っても、

見る人が見れば一目瞭然というか、

ただの滑稽な人で、むしろ、

「コイツ、うけるー」と、

生暖かい目で見られるのが関の山ですから、

(経験談か?)

ボロはー着ーてても、こころーのー錦、と、

とりあえず、両手を上げて歩きながら、

(そもそも、四十肩で上がりません。涙)

ブランドの服でも買ってくるか。

(まったくわかってない)

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