忘れるという話。

忘れた

自由に生きるコツのひとつ、

それは忘れることなんですよっ・・。

というセリフを、

忘れ物をしたときに使うのは拙者ですが、

「それはただの言い訳です」

と、冷静にツッコミご指摘をいただいたり、

「あははー。いいですねー、飲まずに忘れられてー」

なんて、

応援もしていただくのですが(応援か?)

まことにかたじけない。(なにが?)

まあ、そんなことはさておき、

こだわりや執着などを、忘れば忘れるほど、

ずーっと、ネチネチと覚えていたり、

あれこれ考えたりしなくていいので、

それだけ自由に生きれるわけですから、

いらぬ荷物は少ない方がいいものですねー。

忘れられる

拙者です・・・。

「いつからいたの?」と聞かれましたが、

最初からいました。

(それはヒロシです)

という感じで、最近は己が忘れるどころか、

世間からも忘れられてしまってますが、

己と他人の境目を忘れることができれば、

己と他人は同じ感覚になります。

己と他人が同じ感覚。

それはもう、慈愛の世界ですねー。

慈愛の世界とは、ようするに

自分を忘れた、捨てたということですが・・

ていうかー、うまくまとめたつもりでも、

拙者は慈愛の境地ではなく、

単純に存在を忘れられているだけ。

ということに、

気づかなくてはなりませんねー。

忘れること

将棋の米長邦雄さんの、

一所懸命に学んで

どんどん捨てなければ進歩はない

その過程で流れた脳ミソの汗だけが

自分の体に沁み込んでいくような

気がしてならない。

という言葉が、あるようです。

新しく知識を増やすために

いろんなことを学ぶ人は多いでしょうが、

知識を増やすだけで実践がなければ、

結局は荷物になるだけです。

どういうことかというと、

知識が多ければ多いほど、

知識に縛られてしまい「こうあるべきだ」と、

頭で考えてしまうようになるからですねー。

「なら、学ぶことはよくないのか?」

と、言われてしまいそうですが、

学んで忘れることが大事ということです。

ようするに、学びを頭に置いておくのではなく

頭から捨てる、忘れる。ということです。

頭から捨てる、忘れるということは、

学びを己の体の一部にするということ。

反射的に学びが実践できるようになれば、

いつも学びを頭に置いておき、

知識に縛られ、こうあるべきだと考えたり、

知識を出し入れしなくてもいいわけです。

例えば、お茶の葉は、お茶をいれれば、

葉っぱは捨てるものですが、

学びとはお茶の葉みたいなもので、

葉を大事に持ち続けることとは、

ちょっと違うものです。

そんな感じで考えてみると、

学ぶということは捨てることである。

例えば、本を捨てれないということは、

本の学びが身についてないからじゃない?

ということですねー。

忘れる

愛して すぐ忘れますように

施して すぐ忘れますように

怒って すぐ忘れますように

ゆるして すぐ忘れますように

裏切られて すぐ忘れますように

苦しんで すぐ忘れますように

悲しんで すぐ忘れますように

夜ねむるときは なにも持ちませぬように

という、河野進さんの、

「忘れる」という詩があります。

これを拙者に置き換えてみると、

拙者は愛してあげた、施してあげたと考え

怒ったことはいつまでも覚えていて、

自分は悪くないのだから、

許してあげることなんかできないと考え

裏切られたら裏切り返そうと努力し

誰かに慰めてもらいたくて

苦しい苦しいと泣き言を言い、

拙者は悲しい、拙者は悲しいと、

全てを何かの責任にして、誰かを誹謗中傷する

どうしようもない愚か者ですし、

夜寝るときは、

貴重品などをすべて入れたバックを、

枕の代わりにして寝ています。

という感じで、

書かなきゃよかったという状態に、

なってしまいましたが、

「これからは、存在を忘れられるだけじゃなく、いろいろ忘れていくようにしろよ」

と、ツッコミが入りそうですので、

今日はこの辺にしておこうと思います。

拙者です・・・。

サンドイッチが食べたくて、

お母さんにお願いしてみました。

味噌がぬってあったとです。

お母さんはどうやら、

サンドイッチを忘れてしまったようです。

拙者です・・

拙者です・・・

拙者です・・・・

(だからそれは、ヒロシさんだろ)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする