蓮と鶏

縁によって生じる

拙者は両親の縁によって生まれましたが、

両親には両親がいて、そしてさらに両親がいて、

というように、両親の縁だけではなく、

多くの祖先が縁をつないでくれたおかげで、

生まれてくることができています。

いとこ同士が結婚したりすると、

「祖先が同じじゃないの?」

ということになるので、正確ではありませんが

仮に単純に30代遡ってみると、

なんと21億ほどの祖先がいるそうです。

ですが、その膨大な数の中の祖先の、

誰か一人でも違う人だったら、

今と同じ拙者は、確実にここにはいません。

ということは「奇跡の拙者」ですねー。

(奇跡のリンゴみたいに言うな)

まあ、奇跡のリンゴといえば、

阿部サダヲさんですが(映画ですよ)

しかし、縁というものは・・・、

ものすごいものですねー。

(阿部サダヲさんには、まったく関係ない)

蓮と鶏

泥のなかから蓮が咲く

それをするのは蓮じゃない

卵のなかから鶏がでる

それをするのは鶏じゃない

それに私は気がついた

それも私のせいじゃない

金子みすゞさんの詩

蓮(はす)と鶏(にわとり)です。

蓮が咲き、卵から鶏が生まれても、

それは、蓮や鶏の力ではない。

そして、そのことに私は気づいたが、

気づいたのは私の力ではない。

すべては縁によって生じ、縁によって滅びる。

という、お釈迦様の言葉がありますが、

この境涯を、金子みすゞさんは、

垣間見たのではないでしょうか?

蓮が咲き、卵から鶏が生まれても、

それは、蓮や鶏の力ではない。というのは

「先輩、阿部サダヲに似てますよね?」

「似てないよ!阿部サダヲにはー!」

「似てますよ。」

「似てても似てない」

「いや、似てますって。」

みたいな感じでしょうかー。

(なんだこれ?)

(日清のラ王のCMです。)

己を大切にする

まあ、そんなことはさておき、

そのような拙者であると思えば、

己を大切にしなければいけませんねー。

(みなさんも同じですよー。)

でーすーがー、

己を大切にしなければねー、と言いつつも、

いつまでも「誰かと比べる」ことを、

やめようとしないのは、他でもない拙者です。

しかも、ただ比べるだけならまだしも、

「○○と比べて優秀やないけ!けっけっけ」

と、優れていれば、相手をディスり、

「あー、○○に比べたら・・。ちーん。」

と、劣っていれば、己をディスる。

「だいたい、阿部サダヲに似てますね。って、先輩に対して失礼だろおまえ!」

「それ、逆に、阿部サダヲに対して失礼じゃないですか?」

と、いう感じで、(なにが?)

どっちにしても失礼というか、

どっちにしてもディスるわけです。

どっちにしてもディスる。

こんなの、己どころか、

まわりも大切にしていませんよねー。

なんでなんですかねー。

やっぱり・・・、

泥のなかから蓮が咲く、それは蓮だけの力!

というように、己だけの力で生きているという

無知というか、大きく勘違いした、

「ちょっとイタい拙者」だからかも、

しれませんねー。

縁起の法

植物の種を事務机の上に置いていても、

芽が出ることはありませんが、

土中に蒔いて、適度な水や太陽の光があれば、

同じ種でも、芽を出します。

ようするに、種だけではなく、

土、太陽、水という原因が加わることで、

芽が出るという結果が生じる。

すなわち、

「全ては因と縁によって存在している」

ということですが、これを言いかえてみると、

「因と縁がなければ、存在しない」

とも、いえます。

また「因と縁がそろえば、すべて芽を出す」

とも、言い切れません。

種に、土、太陽、水を加えたからといって、

確実に芽を出す種だと、保証はできないし、

まあ、芽を出すでしょう。という種でも、

芽を出す前に、掘り起こされたり、

ふまれたりする可能性もあるからです。

てな感じで考えてみると、

「今ここにいることって、奇跡じゃね?」

となります。

ん?奇跡ということはー?

拙者って、ここに確実にいるぜー!

なんて言ってるけど、

奇跡の確率で、たまたまいるだけで、

ここに確実にいるぜー!とは、言えない?

ていうことは、

拙者の存在があるともいえるけど、

絶対的な拙者の存在なんてないじゃん。

ってこと?みたいになるわけです。

(ちょっと難しかったですか?)

己のだけの力なのか?

たまたまいろんな偶然が重なり、

奇跡の確率でここにいる。にもかかわらず、

己という存在に固執しているのが拙者です。

まあ、こんな感じですから、

生かされているってことにも、

気がつきませんよねー。

百歩譲って、

生かされていることが理解できなくても、

「先輩、また奥さんに言えなかったんすか?」

「言えなかったし」みたいに、

阿部サダヲさんのような、気弱な話ではなく、

己だけの力で生きているという勘違いは、

せめてやめましょうかー。

と、全力で言われてしまうわけです。

(ちーんですよ)

己だけの力で生きていると思うから、

他人のミスや失敗は、

自分にとって迷惑になるので許せない。

自分のミスや失敗は、

自分やまわりに不利益になるので許せない。

と、思うものかもしれませんが、

そもそも人は機械じゃないんですから、

ミスをするのが当たり前であり、

「今まで一度もミスをしたことがない」

という人間など、この世にいないので、

「ていうかー、最初から無理難題」

ということなんですよねー。

こんな感じで考えてみると、

自分が優れていれば相手をディスり、

劣っていれば己をディスる。みたいなことが、

「バカなの?」と思えます。

まあ、ようするに、

「それ、逆に、阿部サダヲに対して失礼じゃないですか?」

「謝ってください」みたいな感じですよねー。

(ですよねー。じゃない)

そんなこんなでいろいろ考えてみると、

私のせいじゃないと言える、

金子みすゞさんの垣間見た境涯とは、

ほど違いなー。と、拙者は思うわけです。

(まあ、ラ王でも食べるか)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする