定めなき浮世にて候へば 一日先は知らざる事に候

この世は諸行無常

定めなき浮世にて候へば

一日先は知らざる事に候

真田信繁(幸村)が、

義理の兄である小山田茂誠と

その息子である之知にあてた、

手紙の中にある言葉だということです。

いつものように超訳してみると、

この世には、これだけは変わらねー。

というものはねーし、

明日のことだってどうなるやらさっぱり。

というような意味ですねー。

何が起きるかわからないのが人生であり、

また、どのようなものでも常に変化し、

永遠に同じであることはできない。

これを、生死という側面から考えてみると、

全ての物は生まれた瞬間から劣化に向かい、

生物は生まれた瞬間から死に向かってゆく。

ということになります。

「生まれた瞬間から死に向かってゆく」

という事実は、

全ての生物に共通の真実ですねー。

命とは生まれ滅びを繰り返しながら、

つないでいくものですが、

それと同じように拙者の思考も、

生まれては消え、消えては生まれていきます。

こんな感じで考えてみると、

儚い話ですけど、まあ、ようするに、

すべては無常(常では無い)である。

ということですねー。

死について考える

「あわ雪やしみじみ思う生死のこと」

水野源三さんの詩です。

春先に降る消えやすい雪のことを

淡雪と言いますが、儚く消えていく淡雪に、

ご自身の生涯を重ねられ創作されたのが、

こちらの詩のようです。

ですが、

「死についてなど、あまり考えたくない。」

と、多くの人は思うものでしょう。

ということになれば、この詩にあるように、

「普段から死について考えている。」

という人は、少ないのではないでしょうかー。

でーすーがー。

いくら嫌だなーと思っていても、

死とは、全ての生物に共通の真実ですから、

遅かれ早かれ、死について考えるときが

いつかは必ずくるものですよねー。

そうなって考えてみるのではなく、本当は、

最初から考えていなければならない問題。

それが死というものではないでしょうかー?

これでおしまい

「これでおしまい」と、言い遺し

旅立っていったといわれているのは、

勝海舟さんですが、

ババンババンバンバン、風呂入れよ!

ババンババンバンバン、歯あ磨けよ!

ババンババンバンバン、顔洗えよ!

ババンババンバンバン、宿題やれよ!

ババンババンバンバン、風邪ひくなよ!

「また来週ー!」になってしまうと、

「これでおしまい」にはなりませんので、

ちがうよねー。ということですが・・。

それはさておき、拙者が幼少のおりには、

「風呂嫌い、入りたくない」

というのがチラホラいましたので、

「風呂入れよ!」と、カトちゃんが言うと、

「そうだぞ!」なんて思ってましたが、

もう、朝シャンでも古いという時代に、

風呂入れよ、歯磨けよ、顔洗えよと聞くと

時代を感じてしまうかもしれませんねー。

(歯磨きはいるかも)

話が少しそれてしまいましたが、

毎回「また来週!」ではなく、

いつかは「これでおしまい!」と、

消えていく日が必ずくるということです。

そんな感じで考えてみると、

「どのように生きればいいか?」という

問いに対する答えが、

ここらあたりにあるのでは?と思うのです。

永遠じゃないかと思うように生きていくことと

淡雪のように儚い命と生きていくこと。

ようするに、制限や不自由があるから、

自由をより感じることができると同じで、

死に目を向けることで、

生が見えてくるものじゃないかと思うわけです。

まあ、愚かな拙者は、

絶えず失敗をしておりますので、

「あー、今のは世が世なら切腹だあー」

と、しょうちゅう死と向き合っております。

(もうすこし哲学的に向き合え)

とううわけで(どういうわけ?)

時間だよ あははん

仕方がない あははん

次の回までごーきーげんよう

ということで、また来週ですねー。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする