戦国三大梟雄 宇喜多直家

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梟雄って?

宇喜多直家。

戦国の三大梟雄のひとりといわれています。

戦国の三大梟雄といいながら、

北条早雲、松永久秀、斎藤道三についで、

宇喜多直家で、もう四人目になりますねー。

北条早雲が活躍した時期が、

他の三人より少し早いので、

北条早雲を除いた三人を、

三大梟雄とする説があったりなどと、

いろいろ分類パターンがあるようですが、

もう四大でよくね?という感じです。

まあ、そんなことを言い始めると、

梟雄と呼ぶことについても、

「〇〇が梟雄の条件」みたいな、

確固たる定義がありませんから、

「ぐずぐず言うなら定義から決めんかい」

となりそうです。

例えば、表裏者という意味では、

(ひょうりもの=裏表がある者、裏切り者)

直家さんだけではなく、真田昌幸さんも

武田に始まり、徳川、織田、北条、上杉と、

次々と主をかえましたし、

そんなの、小さな勢力が生き抜いていくには、

よくあることです。

また、梟雄の意味を調べてみると、

「残忍で強い」などと書いてありますが、

そんな感じで考えると、

決まったデータに基づいたことではない、

ただのイメージであり、

梟雄と呼ぶこと自体、なんだかなー。

かも知れません。

備前の梟雄 宇喜多直家

まあ、それはさておき、

備前の梟雄、宇喜多直家さんです。

備前(びぜん)と言えば「備前焼」とか、

刀剣の「備前長船」などで有名ですが、

現在でいえば岡山県南東部あたりになります。

ちなみに、備中(びっちゅう)は岡山県西部。

備後(びんご)は広島県東部になります。

(びんご)は(ビンゴ)と書いてしまうと、

宝くじとか、結婚式の二次会のような

意味になってしまうので、

少し緊張しながら変換しましたが(うそです)

この備前、備中、備後、のように

○○前、○○後みたいな国名は、

他にも越前や肥前など、多数あるのですが、

地理的に京の都に近い国に、

「前」がついているようです。

父の名は興家、祖父の名は能家。

祖父能家さんのときに、

主君の浦上村宗さんが河内堺の戦いで討死。

嫡男の政宗さんが浦上家を継ぐも、

因幡(いなば)の国(鳥取県東部)より来襲した

山陰の尼子氏への対応について、

「100人乗っても大丈夫なのか?」で

弟、宗景さんと争いになり、宗景さんは謀反。

(イナバ物置さんにはまったく関係ないだろ)

今はCMを見れば、

100人乗れることは明白ですが、

当時はまだ、TVがない時代・・・。

(やめなさい)

「100人乗れるなんて信じん!」

と、宗景さんは独立し、浦上家は分裂します。

(だからやめなさい。)

そののち、宇喜多能家さんは、宗景さん配下の、

島村豊後守に城を攻められ、

能家さんは自刃、もしくは討死したとも、

また、そうではなく、

暗殺されたともいわれますが、

いずれにしても、幼くして、

所領を失うことになった直家さんは、

父興家さんと共に、

流浪の身となってしまうわけです。

流浪の末、豪商である阿部善定のもとに身を寄せ

しばらくは落ち着いた日々を送りますが、

そこで知り合った女性との間に、

(阿部善定さんの娘説あり)

興家さんに子どもができます。

ようするに直家さんの弟(忠家、春家)が

産まれたわけですが、

父、興家さんは流浪の無理がたたったのか、

しばらくして亡くなってしまいます。

ということで・・・、

幼くして直家さんは、

所領もなく家臣もいない宇喜多家を、

継ぐことになってしまったわけです。

直家さんはやがて、

仕官をすることになるのですが、

その仕官先は、浦上家を継いだ、

兄の政宗さんではなく、弟であり、

直家さんの祖父の仇である浦上宗景さんと、

同じく仇の島村豊後守がいる

いわゆる「宗景ファミリー」に、

「100人乗れるって、怪しいっすよねー。」

と、仕官することになります。

まあ、100人乗れることを、

直家さんも疑っていたのかもしれませんねー。

(だから、やめなさいって。)

ですが、流浪の原因を作った、

宗景さんファミリーに仕官するあたり、

もうなんだか、梟雄の香りがしてきましたねー。

(直家さんの乳母が、宗景さんの奥女中になり、仕官を尽力したということです)

その後、着々と武功をあげ、わずか数年で、

乙子城の城主となることができました。

これで少禄ながらも、

旧臣を呼び寄せることもでき、

まずは、宇喜多家の再興を果たします。

とりあえず、めでたし、めでたしです。

もう、城主になったのだからということで、

宗景さんの命令で、同じく宗景ファミリーの

中山備中守信正さんの娘を娶ります。

そうこうしていると、

祖父、能家さんの仇である、

島村豊後守さんと、義理父の中山信正さんが

「やっぱ100人、乗れるんじゃね?」と

浦上宗景さんを裏切ります。

(イナバ物置さん、すいません)

そこで直家さん・・・、

「お義父さん、一緒に狩りでもしませんか?」

「もちろんお義父さんの領内でね・・・ニヤッ」

と、中山さんを油断させたのち、

そのままこっそり兵を城にまで入れ、

中山さんを謀殺し、城を奪取。

まー、このあたりが梟雄という評価に、

つながっていく一端なんでしょうがー。

そののち、祖父能家さんの仇である、

島村さんも、ついでに謀殺。

なにやら、まだ中山さんの城だと思って、

のんびりとやって来た、島村さんを城に入れ、

そおーっと、門を閉めたそうですよ・・

二ヤッ。

そんなこんなで、直家さん。

祖父の仇の一方を打ち取ったわけです。

これ以外にも、

「なにぃー、100人乗れるだとー、首!」

と、わざと家臣を放逐して、

「ひどい目にあいました、どうか御慈悲を」

と、敵の城に仕官させたり・・・、ニヤッ。

時間をかけて仲良くなった盟友の城主を、

家臣に寝込みを襲わせ暗殺させるとかー。

毒殺したりするとかー。

「一緒に狩りでもしましょうよー。」と誘い、

「あー、鹿と間違えたー。ニヤッ。」と、

敵の重臣を弓で射殺し、敵の力を削ぎ、

そのあとで城を攻めるとかー。

腕の立つ、兄弟スナイパーを雇い、

敵の大将が野営しているところを狙って

暗殺するとかー。

その暗殺は後に議論を呼び、

映画「JFK」が公開されたりとかー。

(違う話になってるよね?)

そのあと、機密文書を、

トランプ大統領が公開するとかー。

(もはやまったく違う話だよね?)

まあ、いろいろと、枚挙に暇がないようです。

(やれやれみたいに、おまえが書くな)

備前統一

その後も、祖父の仇だけど、

なんだかんだお世話になった、浦上宗景さんを

隣の国、播磨(はりま 兵庫県)に追放。

祖父の仇を取り、備前を手にします。

まあ、直家さん。

悪いイメージがどうしても先行しますが、

ここまで積み重ねてこれたということは、

応援してくれる人があってのことですし、

本当のちくしょーだったら、

いつ命を落としてもおかしくない戦国の世で、

これだけのことを成し遂げるって無理じゃね?

と、拙者は思うわけです。

直家さんだけではなく、

梟雄と呼ばれている人にも、

当てはまることかもしれませんが、

家と家臣、頼ってくる豪族などを守るために、

全力を尽くした結果こうなった。

ただそれだけのことではないか?

つーか、武士って、そもそもそういう存在。

と、思ったりもするわけです。

直家さんは、織田家の中国征伐のさなか、

いわゆる「本能寺の変」が起きる前に、

病死をしてしまいますが、

本能寺の変が起きたとき、

もし直家さんが生きていたら、

どんな行動をとったんでしょうねー。

直家さんが、生涯をかけて積み上げた、

宇喜多家を継いだ息子の秀家さんは、

豊臣政権にて徳川、小早川、前田、毛利と並ぶ、

(小早川隆景の死後、上杉景勝)

五大老にまで出世しますが、

関ヶ原の戦いに西軍として参加し、

後に八丈島に流され、そこで一生を終えます。

そういば、以前放送された、

NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」では、

宇喜多直家役を陣内孝則さんがやってました。

陣内さんといえば、少し古い話ですが、

以前にも、大河ドラマ「毛利元就」で、

大内義隆に謀反をし、大内家をのっとる

「陶隆房(春賢)」の役をやってましたが、

なんだか謀反が似合う人に、

見えるんでしょうかねー?

(そろそろほんとうにやめなさい)

ちなみに、大内義隆さんの辞世の句は、

(ちなみに風間トオルさんでした)

討つ人も 討たるる人も諸ともに

如露亦如電応作如是観

(にょろやくにょでんおうさにょぜかん)

であり、

討つ人も討たれる人も、

露や稲妻のように一瞬で儚い存在だ。

と、いう意味ですが、

書く拙者も、書く事も、儚い存在ということは

拙者の無礼も儚いもの。ということですから。

今宵はここまでにいたしとうござりまする。

(全く反省してないわ、拙者。)

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