嫌なことから逃げる習慣

いろいろ経験せなあかんで。

問題から逃げたらあかん。

人の上に立つ人間っちゅうんは

そないしてどっしり構えられるように

自信つけてきたんや。

書き下し文

子曰わく、君子は坦かに蕩蕩たり。

小人は長えに戚戚たり。

心に沁みる関西弁訳

先生は言わはった。

「人格者っちゅうのはどんな時でもどっしり構えてるもんや。しょうもない人間はしょっちゅうあたふたしてて、くよくよしとる。」

関西弁超訳 論語 超訳・解説八田真太さん著

悪いのは誰?

「こんな私に誰がした」は昔あった

ドラマのタイトルですが、

わたしがこんな状態になったのは、○○の責任!

なんて、考える人がいます。

このような人がもし現れると、

北西の風やや強く、

「これ、あかんやつやー」と、

ツッコまれてしまうでしょう。

○○の責任という考え方は、非常に簡単です。

なんでもかんでも、

何かの責任にすればいいわけですから。

まあ、言い方を変えると手抜きです。

全て同じだと思いますが、手抜きをすると、

何事もうまくはいきません。

余裕がある人、キャパを越えた人

「人格者っちゅうのはどんな時でもどっしり構えてるもんや。」

と、文中にはありますが、

○○の責任!と考えた時点で、

すでに起きた出来事に翻弄されていて、

「この出来事、自分には解決できません!」

と、宣言しているわけですから、

これを人生に置きかえてみれば、

いつまでたっても、

解決できない出来事が起き続けて、

その結果、ずっと苦しむイヤーんな人生。

ということです。

例えば「職場で評価されない」

「人間関係がいつもうまくいかない」

「いい、異性にめぐり合わない」

などという場合

いくら「○○の責任だー」と叫んでみても、

相手に解決は期待できないでしょうし、

そして、己にも解決できないわけですから、

日本海側では30日にかけて、

猛烈な風や非常に強い風が吹き、

海は大しけとなるぐらい、イヤーん。

でしょうね、ということです。(なにが?)

逃げたらあかん

まあ、自分でなんとか対応できるのなら、

さっさと解決して「はい、終わりー」で

いいわけですが、

結局、対応できないし、

どうすればいいかわからないから、

「○○の責任だー」と言うハメになり、

「これ、あかんやつやー」と、

ツッコまれてしまうわけです。

まあ、なんとか対応できるのなら、

さっさと自分で解決して終わりですねー。

まあ、いつも何か起きるのが人生だし、

起きたことが積み重なったものが人生。

というものですから、

出来事が起きることをなんとかするのは、

無理なことです。

と、なーれーばー、

やっぱり受け止める側の自分を整える。

苦しんで苦しんで、苦しみ抜く人生など、

(あー、なんかめまいが)

ちと、遠慮させていただこうか。

という、殿方や姫君であれば、

是非、そのようにしていただきたい。

(お主は何様だ!)

で、なーけーれーばー、

「何も起きませんように、何もおきませんように」

と、祈ることが習慣になり、

しまいには、

「あそこの神社はご利益がない」などと

愚痴をいいはじめ、

最後には神主さんから、

「これ、あかんやつやー」と、

ツッコまれることになります。(うそです)

起きた問題に目を背けたり、

出来事から逃げても、

一時的にはスッとするかもしれませんが、

何かに責任転嫁するということは、

自分で解決しないということなので、

いつまでも、出来事に対する対処法を、

身につけることができませんから、

人生は何も変わっていきません。

ですが、

「自分になんかできることなかった?」と

考えることができると、

結果的に、うまくはできなかったとしても、

確実に経験値は増えていきます。

そうなれば、だんだんと

「これ、素敵やん♡」と、ツッコミが入り、

出来事に翻弄されていた、今までとは反対に、

出来事のおかげで成長することができたと、

思えたりします。(素敵やん♡)

そうなると、やがて

どっしりした人格者に近づいていける。

ということですが、

拙者のように、食欲の秋を理由に、

どっしりした体重を目指していては、

「これ、あかんやつやー」と、

ツッコまれるわけでござるなー。

(振り返っている場合か!)