賢者は批判にも賞賛にも動じない

一つの岩の塊りが風に揺がないように、

賢者は非難と賞賛とに動じない。

深い湖が、澄んで、清らかであるように、

賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。

高尚な人々は、

どこにいても、執著することが無い。

快楽を欲してしゃべることが無い。

楽しいことに遭っても、

苦しいことに遭っても、

賢者は動ずる色がない。

ダンマパタ 中村元先生訳

第六章 賢い人の言葉より

愚者は非難にも賞賛にも動じる

賢者とは、ようするに、

執着を手放している人のことです。

その執着とは、己に対する執着も含みます。

というより、人が持っている執着とは、

己に対する執着が源泉になっていますので、

言ってみれば「己を手放した人」と

いうことになるわけです。

拙者などは、その反対で、

まあ愚者ですから当たり前ですが、

己に対する執着ばかりで、

己に執着しすぎて、

己に対する批難については、

「ちくしょー、あの野郎」などと心動かされ、

賞賛については「苦しゅうない♡」などと

まるでジェットコースターに乗っているように

グラグラと心を動かされます。

冷静に考えてみると、

こんなに人の意見に心が動くわけですから、

拙者をコントロールすることは簡単ですねー。

都市伝説なホントかは知りませんが、

「身内に不幸があると宗教の勧誘が来る」

みたいなのがあります。

身内の不幸に心が動揺しているときに

やさしい言葉をかけられたりすれば・・・、

卵焼きがうまく焼けない。

お肉を焼くと、すぐに引っ付いてこげる。

そんなフライパンで大丈夫ですかー?

そんなときはこれ!

という時点で、携帯を握りしめ、

NASAが開発した特殊技術を使った、

うんぬんかんぬん・・・という頃には、

「電話番号はよ♡」という状態になる拙者なら、

イチコロですねー。(いいのか?)

批判と賞賛に動じない

その反面、賢者は執着を手放していますから、

小木です。矢作です。

おぎやはぎですけど、なにか?

ではなく、

お肉こげましたけど、なにか?

というように、

○○でなければならないビーーーム!を

出すことがないので、

(どんなビームだ)

こだわり、執着がなく、

あるがまま、ありのままを受け止めます。

だからといって、

率先してお肉をこがすわけではありませんが、

まあそうなったらそうなったでOK、

うまく焼ければそれでOK、

こういう境地ですねー。

一事は万事というように、

例えば、どっかでできることは、

ここでもできるものですから、

お肉にこだわらない人は、

例えば、人間にも出来事にもこだわりませんし、

批判や賞賛にも、こだわりはありません。

まあ、なんと楽で、荷物のない、

体の軽い生き方だろうと思いますが、

その反面「○○じゃなきゃダメだ!」

「○○あるべき!」といったような、

こだわり国の国民や、べきべき国の国民は、

(どこにあるんだ?)

いちいち、いちいち、

これじゃダメ!こうあるべき!と、

なんか重くて、苦しい生き方を、

しているなーと思うわけです。

無いようで有る、あるけどないという生き方

なんかこのように書くと、

なんでもかんでも我慢したり、

妥協して受け入れろ。みたいな

なんか弱々しいに感じにもとれますが、

まったくそうではありません。

というより、そんな我慢なんて続かない。

そして、弱い人では続けていけない。

ということは、多くの方がわかるはずです。

我慢や馴れ合いの代わりに、

智慧と強さでということですから、

弱々しいなどという話ではないわけですね。

何でも受け入れることができるのは、

弱いからと、いいようにされているのではなく、

しっかりした芯があるからこそ。

ガチガチの力強さではなく、

どちらかといえば、しなやかな力強さ。

という感じでしょうか。

真理とは、時代も選ばず、

地域も文化も関係なく、

全てに共通する「法」のことです。

こういう真理を心に持つ人は、

真理が己の基準となるので、

人の言動に右往左往することもなく、

心がしなやかであることが可能ですから、

他人がどうしたとかなど、

興味がないものでしょうねー。

ハマの番長こと、

元横浜DeNAベイスターズの投手、

三浦大輔さんが、サイン色紙の転売問題について

え、三浦のサイン買ったの?

なんぼでも球場行ったらもらえるのに。

と、なるように、売るのも買うのも、

馬鹿らしくなるぐらい書けばいい。

と、コメントしたそうです。

ファンだからではなく、売れるから。

という気持ちで、サインをもらうことに対し

「そんな話があるのか、けしからん」

「もう少しマナーをもって」

などと言うのは誰にでもできそうですが、

三浦さんのような答えは、

心の中に、しなやかさと強さがなければ、

すぐには出てこないのではないでしょうか?

まあ、ようするに、

他人から非難、批判されたときに、

「それぞれ、考え方があるからねー」

と、泣きながら走り去るより、

(おまえだろ!)

真理というしなやかさを心の中に持って、

いろんなことを判断していくことができれば、

何かが来たからと右往左往することもなく、

非難と賞賛とに動じない賢者に、

近づいていけるのではないでしょうかー。

ということでござるよ。

(まずは、お主からな!)