死ぬのが怖い?

生体エネルギーという視点から考えると、

体に宿っている状態よりも、

エネルギーとして存在している状態の方が

むしろ自然な姿といえるのかもしれません。

命とはエネルギーであり、

たとえ形が変わってもその存在は

エネルギーの法則に従って

永久に保存されるわけです。

これは、臨死体験をした人々の証言からも

推測することができます。

もちろん、臨死体験は

後に生き返った人々の体験ですから、

厳密にいうと完全な死の体験ではありません。

それでも、限りなく死に近い体験を

したことだけは確かです。

体験者はまさしく死の淵を覗いてきたのです。

世界中に存在する体験者は、

その異なる生活背景や宗教観にもかかわらず、

大筋で共通したヴィジョンを体験した後、

異口同音に

「死は恐ろしいものではない」

「死ぬことが楽しみになった」

と語るようになります。

その数々の証言からも、

死とはまさしく体から離れた意識

そのものの状態で、

命は死んでもお終いになるわけではないことが

推測できます。

しかし、だからといって

他の生命体を殺しても構わないとか、

あるいは無理にでも生き延びさせるほうがいい、

ということにはなりません。

命は、それぞれの意識で体に宿っているのです。

どんな体に宿るのか、どのように生きるのか、

そしていつ体から離れるのかは、

それぞれの命が決めることです。

それを他の生命体が故意に左右することは、

その命の進化を疎外することに他なりません。

死の瞬間に体重が減少する!! 川田薫さん著

命とはエネルギー

今日は、長文を引用させていただきましたが、

横着をしようとしているわけでは、

ありません・・・

(いきなり断るところがあやしい)

こんな話など、にわかには信じんぞー。

と、思う方もいると思いますが、

こういう話が科学的な目線で、

語られるようになってきたのは、

面白いことですねー。

体は借り物なんだよ。という言葉を、

聞いたことがある人もいるかもしれませんが、

人間の正体がエネルギーだとすれば、

うなずけない話でもないわけです。

修行だ!修行だ!修行だ!

生まれてくる理由は、

ずばり己のエネルギーの質を向上させること。

例えば、己というエネルギーを磨くために、

体を整えることは有りですが、

煩悩を満たすためにダイエットをしたり、

長生きしたいからと体を整えたりすることとは、

見ているところが違うわけですから、

こういう場合とは、少し目的が違うわけですね。

ソウルメイトなんていう言葉があります。

これまでずーっと昔から、

お互いのエネルギーを磨きあうために、

共に影響を与え合い歩んできた。

みたいなことのようですが、

命とはたとえ形が変わっても

エネルギーとしてあり続ける。

ということを前提として考えた場合、

そういうこともあるでしょうねー。

とも、思えます。

アニマル浜口さんの、

気合いだ!気合いだ!気合いだー!

とは少し違いますが、

人間とは、知らない間に、

修行だ!修行だ!修行だー!と、

旅を続けているわけですねー。

エネルギーにも相応しい場所がある

人はそれぞれ課題を抱え、

その課題をクリアするために生きている。

そのように考えてみると、

思い通りになることばかりでは、

なかなか向上していくことができませんから、

つらい出来事や、嫌な人、

また好意を持てる人などと、時間を共有し、

さまざまな人に磨かれるのではないでしょうか。

エネルギーのレベルは、

ラジオなどの周波数のように、

混線することがないようですから、

本来、違う周波数の人とは、

交わることがないわけですが、

人間に生まれてきた時だけは、

さまざまな階層の人と交わり、

切磋琢磨できるようです。

例えば、

精神エネルギーは聖人階層だけど、

一見普通の人。とか

精神エネルギーは、むにゃむにゃだけど

一見普通の人。なんてのが混在していて、

なんか、嘘つき探しとか、

宝探しみたいで面白いですよねー。

(拙者だけ?)

まあ、ようするに地球って、

「常に電波が混線している状態」ですから

「そりゃあ、毎日いろんなことが起きるさー。」

ということですし、

そうなるともう、

考えても仕方がないことですから、

「Que Sera、Sera ーなるようになるさー」

でいけばいいわけです。

(なんかおしゃれ?)

ですから、

これは、まいったなー。という

出来事が起きたとしても

「はー、こりゃ今だけの限定かー。ここだけでしか見れないわけねー。」

と、考えてみれば、みなさんが嫌いなあの人も

プレミアチケットぐらい、

貴重な人になるかもしれません。(他人事?)

まあ、そんなことはさておき、

こういうことをはるか昔に、

気づいたり体験した人がいて、

それが伝えられてきているということも、

すごいことだと思いますし、

時代も場所も違うのに、

我々が日々を生きているだけでは、

見ることができない世界や、

同じ事実を感じていた人たちがいる。

ということも、

考えてみれば、すごいことだなーと

思いませんか?

こんな風に考えると、

少しばかり勉強したぐらいで天狗になる、

小さな拙者に比べて、

世の中は大きくて広いということですね。