真の馬鹿と小賢しい利口は同じ

愚か者は自分の道を正しいと思う。

しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。

愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。

利口な者ははずかしめを受けても黙っている。

箴言12・15-16

時流に合わないことばだけによけいに味がある。

このことばから教わるのは、

怒りをすぐ現わす愚であり、

忠告に耳を傾ける余裕もない愚である。

自分の道を正しいと思わないでは生きられない。

しかし、

それが完全だなどと思うのは知恵のない者、

という戒めである。

はずかしめを受けても黙っている、

それが利口だと教えているが、

これは利口の限界を示していて興味がある。

そんな利口人間ばかりがいては世の中

味がなくなりそうであるが、

この箴言は私たち凡夫が落ちやすい

さまざまなことを指摘、処世を教えてくれる。

聖書の知恵 星充さん著

時流に合わないことば

著者の星さんがこの言葉のことを、

時流に合わないことばだけに・・・と

おっしゃっていますが、

自分が正しいと思っている愚か者が多い。

という時流って、なんだかせつないですねえ。

愚かさと賢さ

確かに自信とは、

自分の味方になってくれるものですが、

高慢にまで育ってしまうと、

今度は自分とまわりの敵になります。

確かに人間とは、文中にもあるように、

己が正しいと思わなければ、

生きてはいけないものかもしれません。

「己が完全だと思ってても、まあ。」

と思えるのは、(エラそうに)

神や仏、聖者であって、

普通の人間で、己が完全だと思っている者は

ソクラテスの無知の知ではありませんが、

なんちゃって利口、小賢しい、痛いヤツ

知恵のない者、たわけ、痴れ者、うつけです。

(ここまでいうか 笑)

己の本当の愚かさを知ることは、

高慢さを手放しているということであり、

今後、成長・変化していく可能性をもつ、

愚か者ということですが、

「わたしは完全だー。はっはっはー」

という正規品の愚か者には、

今後の成長は期待できません。

まあ、「わたしは完全だー。はっはっはー」

というぐらい、突き抜けた正規品なら、

どこかで、その伸びすぎた鼻を、

たたき折ってくれる出来事に遭遇するまで、

あと一歩ですので、

今後、反転する可能性は大いにありますが、

「何事も中途半端が一番よくない」というように

いかんのは、中途半端な痴れ者です。

中途半端な痴れ者は、己を磨くことではなく、

世間へのPRや、世渡りが目標です。

世渡りやPRが目標ということは、

ようするに、勝った、負けたと、

自分のまわりだけうまくやれればいい。

日本!とか世界!など、一切眼中になく、

「小さな世界で、大きな顔を!」

が、選挙戦を戦うスローガンです。

(なにが?)

自分のまわりだけということは、

小さな世界です。小さな世界とは・・・。

日本では千葉にあって、

あの素敵なネズミさんがいる国にある

イッツ・ア・スモールワールド!

・・・

・・

ではなく、

「わたしは完全だー。はっはっはー」

でもなく、

小さな世界なら「そこそこ」でいい!

ようするに、中途半端でいーーーんです!

ということになるわけです。

(はい、川平慈英さんでごまかしました。)

「わたしは完全だー。はっはっはー」と

心の中で思っていても、

世渡りに影響が出そうだなーと思うと、

口には出しませんが、

問題ないと判断したら、口に出します。

むむっ。

ようするに、いつも心の中で、

「わたしは完全だー。くぅーっ!」と

思っていることにはかわりないので、

(なんかおかしいですか?)

忠告を受けると腹を立て、

己と違う意見には傷ついたといい、

あなた素敵よねーといわれると

その人の人となりを確かめもせず、

簡単にホイホイとついていく。

「小さな世界で、大きな顔を!」が目的の

ちょっと、アレな痴れ者なんです。

むむっ。

己を磨く道

ただの「たわけ」である拙者が、

己を正しいと思っていることは、

本人はそれを知らない無知であるがゆえの

大真面目なのかもしれませんが、

一段高いところから拙者を見てみると、

それは高慢であり、アイタタな人です。

加えて、変化・成長する希望の低い、

愚か者の中の愚か者。キングオブ愚か者。

ということになりますねー。(ちーん)

高慢から見える景色は、

ただの独りよがりの景色ですっ。

むむっ!

なぜかというと、

独りよがりとは心が独りよがりなのですから、

その心が見ようとしているものは、

独りよがりになるからですっ。

くぅーっ。(もう終わります)

ですがその見ている景色が真実なら

何の問題があるんだよ!ってことですが

それは違いますよねー。

高慢さを極め、己とまわりを幸せにし、

偉人として語り継がれている人はいませんし、

高慢は、己もまわりも焼き尽くします。

確かにわれわれは、神や聖人ではなく、

凡夫であることに間違いはありませんが、

凡夫だと気が付いてから、

凡夫を受け入れ、超えようとする人生が、

はじめて始まっていくものであり、

それに気が付くことができない人は、

己が賢いと勘違いをした、

アイタタな痴れ者の人生のままですから、

変化する人生に、アタックチャーーンス!

(川平さんから博多華丸さんに!)