罪とはなにか

永山事件に今、私たちが見るべきものは、

もはや”死刑の基準”ではありません。

では、必要なことは何なのか。

今回の取材で話をうかがった

大谷恭子弁護士の言葉を改めて引用します。

「少年事件を担当すれば誰でも気がつくこと、

それはあまりに偶然が左右するということです。

あの時この人と出会っていれば、

この一言があればということがすごく多いのです。

成長期の不利益条件は誰もが抱えていて、

うまくいけば乗り越えられるし、

運が悪ければ外れっ放しになる。

その分析を石川鑑定は見事にこなしています。

少年の更生可能性は、

時間をかけなければ判断できません。

永山君が「新井鑑定」では語らなかったけど、

三、四年が経ってやっと語れたように、

その時間が必要なのです。

どうしてこうなったのかという理由は、

少年事件は原因に近いから探せば分かる。

それが今、まったくやられてないのが

残念でたまりません。」

永山則夫  封印された鑑定記録

堀川惠子さん著

罪と罪じゃない境界線

「永山則夫連続射殺事件」の

取材をされた本ですが、

引用した文章は、

この本のあとがきにある文章です。

そのあとがきの中で、

少年事件について、あまりに偶然が左右すると

大谷弁護士が語っていますが、

少年事件ほど顕著で無いにしても、

ほとんどの人間は、

はじめから事件を起こそうと、

生きているものではないのですから、

突発的にせよ、計画的にせよ、

罪に至るまでの境界線は、

紙一重ではないかと思うわけです。

人によるでしょうが、

例えば、経済的な困窮と、家族の不幸、

病気や仕事での失敗などなど、

そんなのが一気に起きたとしたら、

何の問題もなくいつもと同じ。あははー。

というわけには、

なかなかいかないものですよねー。

(あっしだけ?)

そんな中、つい魔がさしてしまった。

ということが、

いろんな人生を知れば知るほどありましたし、

あっしも、後で考えてみれば、

平常時なら問題なかっただろうなー

と、思えることなのに、

イラッとすることがあって、つい。

ということも度々ありました。

誰にでも起きるかもしれないこと

人生って、何が起きるかわかりません。

何が起きるかわからないということは、

己の行動もどうなるかわからない。

ということですね。

まあ、そのようにならないために、

心のキャパを増やそうと、

日々、精進しているわけですが、

ほとんどの人の場合、

「精進?精進料理のこと?」という感じで、

そういったことに、あまり向き合ってない人が、

多いものではないでしょうか?

ヨハネによる福音書、8章7節に

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」

という、有名な文章がありますが、

普段から精進している人ほど、

「罪はもちろんよくないことだけど、他人事じゃないよなー」と考え、

精進していない人は、

「ロクでもねー奴だ」と言っておしまい。

こういうのも、面白いものですねえ。

己の愚かさを知る

というより、

ニュースになるぐらいの罪かどうか、

というだけの違いであって、

誰だって、罪の一度や二度は

やっているものですよね。

たとえば、赤信号だったけど、

車がいなかったから渡りました。というのも、

法律違反ですが、

そういうのをやってる自分は

横に置いておいて、

ニュースで流れてくる事件について

言いたい放題に叩く人っていうのは、

1円はいいけど、1万円だと罪。みたいで

なんかもう、すごいなあと思うわけです。

まあ、そういう人を見つけると、

罪とは何か?を、考えさせられるのと同時に、

「あっしは別ですから」と、勘違いして、

高いところから見下ろすような、

高慢&ちょっと足りない人間に、

なってはいかんねー。と、

己を戒めさせていただくのでござるよ。