感情、メカニズム、そしてコントロール

大事にしていた茶碗が割れてしまった。

今まで愛用していたのに

一瞬にして陶器の破片と化し、

何の価値もないものになってしまった。

破片を拾いながら、因縁の不思議を感ずる。

土という因が種々の縁によって

美しい形の名器となった。

その美しい形に人間の心は魅きつけられ、

自分のものに所蔵したいと手元に置き、

愛用し、幸せを感ずる。

そしていつ迄もこの状態は

続くものと思っている。

ところがものの見事に破壊され、夢から覚める。

私たちは、あまりにも

目前のものにとらわれがちである。

目に見えるもの、耳に聞こえるもの、

その外、五官で感ぜられるものは

すべて実体があると判断してしまう。

ところがそれには永遠性がない。

どんなものでも常なく変化し、崩壊していき、

永久に同じ状態を保てるものはない。

本来、実体として存在するものは一物もないのである、と。

しかし、一刹那の美しさに心を動かすのが

また人間なのであろうか。

愛に始まる 高田好胤さん著

本来無一物って?

高田好胤師の師匠である橋本凝胤師が

薬師寺の雑誌に書かれた

「本来無一物」という文章だそうです。

まあ、簡単に言えば、、、

ていうか、簡単には言えませんけど。

この世のものはすべて、

「有るようで無い、無いようで有る。」

という感じなんですよ。

(わかるかよー)

例えば、感情って確かにありますよねー。

人間はいろんなことに腹が立ったり、

喜んだりするわものです。

いきなり、何もないのに「あ、寿司くいてー」

という気持ちになることもありますが、

多くの場合は、

「◯◯があったから、こんな気持ちになった」

というように、

「何かをきっかけにして、感情が湧く」

ということが、多いのではないでしょうか?

ですが、その湧いた感情。

確かにあるにはあるのですが、

本当はあってないようなものだと思いませんか?

感情はある、だけどない?

なぜなら、◯◯という同じ事実。

例えば同じ映画を観たからといって、

他人とざっくり同じ感想は持てても、

全く同じ感想を持つことありませんよね。

この映画を観たからといって、

同じ気持ちになるという法則性はない。

ということになります。

ようするに、○○というは確かに、

何かの感情が湧くきっかけにはなりますが、

「○○があったから、こういう感情になった」

と、証明することができないということです。

それは、同じ状況であっても、

湧く感情は人それぞれであり、

○○という確実な感情というものはないのだ。

とも、言いかえることができますが

もっというと、その観た映画。

その映画は確かに完成し、

確かに今ここにあるのですが、

完成に至るまでに、様々な力が影響を与え

あるタイミングで、完成に至る。

どうでしょうか?

この映画と全く同じ映画を制作するとして、

演者さんの声のトーンや表情、

またはスケジュールや完成する日などを、

全く同じにできると思いますか?

少なくとも天候や気温までを、

同じにすることができない時点で、

「もー無理」ということですが、

文章にある茶碗のように、

似たような茶碗はできても、

全く同じ茶碗をつくることは不可能ですよね。

ようするに、

いろんな偶然やいろんな力が影響を与え、

絶妙なバランスでそれができている。

そんな絶妙なバランスでできたものって

確かにあるけど、あるって確かに言えるんか?

ものすごい偶然が重なって、

たまたま、できただけでしょう。

だって同じものつくれないよ。

「この世にすべてのものは、はかないよねー。」

ということなんですねー。

感情も大切だけど

文中にあるように、

目で見えるもの、耳で聞こえるものという

「感覚だけ」をありがたがって、

「いい感覚を得たい」と、考えるということは

ようするに、確実性がないわけですから、

毎回、奇跡を願って生きるようなもので、

永遠性がない、幻ばかりを追いかける生き方

ということになります。

感覚の満足とは、一時的なものですねー。

その一時的な満足に、

人生を支配されるということは、

欲しい欲しいと思っていても、

なかなか得ることができないよー。

という感じで、

人生を彷徨うことになってしまいます。

となってしまうと、、、

「渇いた心を満たせない」という苦が、

常に人生につきまとうということですねー。

そんな一時的な満足感や、

それを求め続けることでつきまとう苦のために、

茶碗のように、

いつ終わるかわからない儚い人生を

捧げて生きていくということは、

どうなんでしょう。

そもそも自分の存在が奇跡の結果なのに、

それに感謝をせず、我欲を求めて生きていく。

そんな生き方、皆さんはどう思いますかね?

そんなことより、

なにもない自分であっても、

また、あるがままの自分にOKを出せる、

揺るぎない独尊の心を培って、

しっかりとした充実感を得る生き方や

永遠に続く幸福感を求める、

智慧を探究する人生の方が、

豊かで生きがいがあるように思えませんか?

というより、思えない人たちからすると、

あっしのような輩は、

「おまえ、理解不能ー」と言われたり、

「は?意味わからんし」

などといわれるわけですが、

大変申し上げにくいことですが・・・。

これを一生懸命読んでいる読者の皆様も、

拙者と同じように思われてるかもしれませんねー。