執着を手放す人、捨てる人

「わたしには子がある。わたしには財がある」

と思って愚かな者は悩む。

しかしすでに自己が自分のものではない。

ましてどうして子が自分のものであろうか。

どうして財が自分のものであろうか。

ブッダの真理のことば・感興のことば

中村元先生訳

第五章 愚かな人

あっては悩み、なくても悩む

「わたしには子がある。わたしには財がある」

と、あっても思い通りにならないと、

悩む人もいますが、

「わたしには子がない。わたしには財がない」

と、なくて悩む人もいますねー。

まあ拙者などは、

どっちもどっちだと思うのですが・・

「あって悩むほうが贅沢よ!」

と、誰かに怒られるかもしれませんねー。

どっちにしても苦

だいたい「あって悩むほうが贅沢よ!」

と、怒ってしまうような人は、

あったらあったで、いろんなことが起きると

本気で悩んだあと、しまいには、

「こんなことなら、最初からなかったほうがよかった・・」

などと、いつか遠くを見つめて、

ため息まじりに、つぶやいたりするわけです。

(偏見)

というより、あったほうが苦しいのか?

なかったほうが苦しいのか?

という問題ではなく、

「あってもなくても苦しみを生む」

ということを、理解しなければいけません。

なぜなら、例えば、

「得ることで苦しみがなくなる。」と

勘違いしていると、

苦しみを軽減することは、できないからです。

苦しみが発生する仕組み

苦しみを生む原因のひとつは

「なにかに執着する」ことです。

どういうことかというと、

例えば、欲しかったものを手にしたら、

その得たものを「手放したくない!」と

考えませんか?

まあ、なんでもいいのですが、

お金を手にすれば、

減らしたくないと考えるでしょうし、

名声を手にすれば、

いつまでも名士としてチヤホヤされたいと、

思うものでしょうし、

もう書くまでもなく、異性もそうですよねー。

ようするに、何かを得た時点で、

それを手放したくないなーと思ったら、

執着心がムクムクと生まれてきます。

何かを得る+執着する

(得たものを手放したくない)

という式ができると、

「手放すことになるかも!」

という状況になってしまえば、

「不安」という苦しみが生まれたり、

「ライバルが憎い」という苦しみが、

3000gぐらいで生まれてきます。

(なんでやねん)

そして、何年後かに、

「あの人は今」という番組で・・・

・・・

ここらへんでやめときますが、

ようするに苦しみとは、

何かをしたい+執着する=苦しみ

という式で、あらわされるということです。

また逆に、何を得ることができない場合は、

「○○が欲しい」という気持ちに、

「どうしても○○が欲しい」という、

強力な欲望が加わると、

大気の状態が不安定になり、

欲望が上昇気流にのって、

やがて台風へと変わっていきます。

(書き間違えではありませんので、安心してお読みください)

また逆に、すでに得ている。

手に入れているんだけど、もうウンザリ。

みたいな場合も同じで、

「いらないー!」という気持ちに、

「ど・う・し・て・も♡」という、

強い欲望が加わると、

大気の状態が不安定になり、

欲望が上昇気流にのって、

やがて台風へと変わっていきます。

(ここ、飛ばしていただいて結構です)

ようするに

「○○をしたい」という気持ちと

そのしたいことに対する「執着」を親にして、

苦しみという子供が生まてくるわけですねー。

苦しみから距離を取る

また、そんな「苦しみ出生率」の

高い国に住んでいる人もいる一方で、

賢者のように、

「すでに自己が自分のものではない」

と、真理を体得し、

苦を手放した国で生きている人もいます。

欲は適度であれば、

力の源になることもあるでしょうが、

欲があまりに強すぎたり、

欲の方向が、公ではなく、

「我欲を満たす」方角に向かうと、

欲がその人を支配し、

やがて人生まで支配されてしまいます。

欲に対する執着が苦しみを生み、

その苦しみを解消するために、

それを打ち消すぐらいの何かを得ようとして、

一生が終わるという人生よりも、

いかに己を磨くか?という人生を

拙者は歩きたいなーと思っているのですが、

思っているだけで、

自己への執着をなかなか手放すことができない、

愚か者の拙者でござるよ。