本物と偽物の見分けかた

わたしは、このように聞いた。

あるとき尊師は、

サーヴァッティー市のジェータ林・(孤独な人々に食を給する長者)

の園に住しておられた。

そのとき、(神の子)シヴァは、

夜が更けてから、容色うるわしく、

ジェータ林を遍く照らして、

尊師のおられるところにおもむいた。

近づいてから、尊師に敬礼して、傍らに立った。

傍らに立った(神の子)シヴァは、

尊師のもとで、次の詩をとなえた。

「善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

より善き者となる。悪い者とはならない。

善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

智慧が得られる。他のことからは、得られない。

善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

憂いのさ中にあっても憂えない。

善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

親族のうちにあって輝く。

善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

人々は良き境地におもむく。

善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

人々は、永遠の福楽に住する」と。

そこで尊師は、

(神の子)シヴァに詩を以て返答した。

「善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教えを学び知って、

すべての苦しみから脱れる」と。

サンユッタ・ニカーヤ 中村元先生訳

第三章 種々なる異学 第一節 シヴァ

どんな人がまわりにいますか?

「類は友を呼ぶ」などといいますが、

みなさんのまわりには、どんな人がいますか?

拙者が今、親しくしている方々は、

素晴らしい方ばかりであり、

誰にでも紹介することができる、

誇りに思える人ばかりです。

文中には「善き人と交われ」とありますが

当然ですが、

「わたしにやさしく都合のいい人」のような、

「あの人いい人なんだけどねー・・」

みたいな、合コンでよく聞く

いい人という意味ではなく、

わたしが、より善き者となり、智慧が得られ、

憂いが起きる事態に遭遇しても憂えず、

輝き、苦を消滅でき、幸せになれる。

こんなことを、共有できたり、

こんな場所に導いてくれる人。

ということですねー。

そんな人、いるの?

「いやー、こんな人いないって。」

いや、います。意外といるんです。笑

「じゃあ、どうやって見つけるの?」

見る目を持つことです。笑

「見る目って、どうしたらつくの?」

これはもう、己が精進するしかありませんねー。

言ってみれば、たくさんの魚がいて、

「好きな魚、持ってっていいよ」と

言われたとしても、

拙者の場合だと

「どれにするかなー」みたいな感じで、

適当に、感覚で選ぶしかないわけですが、

魚屋さんはそうではないわけです。

そして、素人の拙者より、いい魚を選ぶ。

当然ではないでしょうか?

ていうか、だから「魚屋さんです」と

自分のことを言えるし、

ゆえに「魚屋さん」なわけです。

わたしが、より善き者となり、智慧が得られ、

憂いが起きる事態に遭遇しても憂えず、

輝き、苦を消滅でき、幸せになれる。

ような人を見つけたければ、

わたしは、智慧を持ち、どんなときも心を整え、

輝いている幸福な人である。

に、なってなくても、いいのですが、

少なくとも己が、

こんな人になりたいと思っていなければ、

見つかるものではない。

魚屋さんになりたいと思っていなければ、

「なぜ、あの魚を選べたんですか?」

という質問は、わきあがってこないわけです。

見方を変えるには、己を変えるのが一番

となりますと、

例えば「本物を見抜きたい」なら、

本物を知らなければ、偽物は見抜けません。

きれいに輝き、表面上は美しく、

ついてる値段も高くて、本物に見えても、

「実は、偽ブランド品でしたー。」

「チーン。」ということは、

よくあるのかもしれませんが、(あります?笑)

ようするにそれは、

本物を熟知していないゆえです。

人間もそれと同じで、

偽物ばかりを見ていると・・・。

あーなんか、ざわざわしてきました。

あまり、考えたくありませんねー。

ようするに、

「○○なのは、あいつのせいだ!」

というような、生き方をしている人であれば、

すべて相手の責任にして、

反省をしませんから

「己を磨く」ことができません。

己を磨くことができなければ、

「エルメスの偽物をつかませた、あいつが悪い!」

となるわけですから、

これからも偽物をつかまされる可能性は、

なくなることはありませんが、

「ダマしたあいつも悪いけど、なんで俺もダマされちゃったのよ。」

とか

「あんなのにダマされてしまうとは、俺もその程度だわー」

と、己を顧みることができれば、

次につながっていくわけですね。

ということはー、

善き人を見抜く特徴のひとつはー、

「○○なのは、あいつのせいだ!」

という生き方をしている人だとー、

さらに智慧を得て、心を常に整え、

きらきらと輝いた、幸せな人になる。

という生き方がー

反省できない人だからー

できないぃーーーーー!

ということになり、

善き人生を共有できないー!

ということになるわけです。

なんだこれ。