知識と教養

「自分には知らないことがいっぱいある」

と知ることこそ上等な知識なのだ。

何でも頭で知ることができると思うのは、

病人といっていい。

誰でもみんな一度は

この病にかかるがね、

しかし

「知らない領域」からくる道(タオ)に

つながった時、ひとは、

この病からぬけでるのだよ、

だって

自分が知識病を病んでいると知れば

とたんに

この病は病じゃあなくなるからさ。

Taoー老子 加島祥造さん著

知識を誇っていたわたし 笑

いやー、実を言えば拙者も

一時期、知識病にかかっていました。

まったくもって、病人でしたねー。

とにかく「知る」ということに興味があり、

「知っている」ことが優秀さの条件であり、

成功者の条件で候。

ぐらいの勢いで生きていましたー。

ま、そのように生きていると、

至極当然なのですが、知らない人を見下したり、

バカにしたりするわけです。

「えー、そんなことも知らないのー、ウププ」

って、思ったり、

冷ややかな目で相手を見たりするって、

まるで子どもですが、笑

こんな小さなことを思ったり

やったりしていた小さな人間でしたねー。

(おまえだよ、おまえ)

実は知らないことだらけ

世の中の知識の総量って、

どれだけあるんでしょうね?

誰か調べた人がいるのか、

いないのかはわかりませんが、

まー、なんにしても、

そのすべてを頭に記憶するということは、

絶対に不可能です。

こういう側面から考えてみても、

知識で勝負しようとするとか、

すべて頭で知ろうとする、などということが

愚かなことだと思うわけですが、

このような方向で、

人生を豊かなものにしようとしたり、

心のバランスを取ろうとしても、

過去の拙者のように、

うまくいくはずがないわけです。

自分には知らないことがいっぱいある。

と、考えることができる人は

己の愚かさを認めて自虐的に生きている

ということではなく、

謙虚に生きているということです。

そして、そういう人ほど、

しっかりと学ぼうと思えるものですし、

一旦、教えを素直に受け止めることも、

できるものではないでしょうか。

そのように学べる人のほうが、

「俺は、賢い」と思っている人より、

油断なく、また情報を多く、

吸収できるものではないかと、

拙者は思っているわけです。

エゴで聞かず、空で聞く

少しばかりの知識を得て

「俺はエライ」などと思っていても、

そりゃあ「ちーん」というものです。

(なにが?)

セミナーなどで、

メモを取っている人はたくさんいますが、

どうやってこの知識を、

世のために役立てようか?ではなく、

得た知識をどこで利用してやろうか?などと、

「お前も、蝋人形にしてやろーかー」

みたいに、メモを取っていると、

「ちょっと、何やってるかわからない。」

と、サンドの富澤さんが

ツッコんでくれるかどうかは知りませんが

知識とは「覚えておしまい」とか

「知識をお金に変えておしまい」

というものではなく、教養にするものです。

教養にするには、

学んだ知識を実際に試してみたり、

繰り返し使ってみたりすることで、

だんだんと、身につかせる。

得た知識が身につけば、

その知識を反射的に行動にすることが

可能になり、

最後は知識が人柄として、

ただよってくるようになるものですが、

「覚えておしまい」

「知識をお金に変えておしまい」系の人から

ただよってくるものは、、、

・・・・

・・・

・・

オエーッ

あまり想像しないでおきますが。

(なにを想像した!)

ようするに、

知識はたくさんあっていいものですが、

その知識を教養に昇華できなければ、

知識を活かしたとは言えないわけです。

知識が人柄として薫ってくる人

どんな人にも「雰囲気」とか

「イメージ」はあります。

もう少し固く言えば「残り香」とか、

仏教の言葉では

「習気(じっけ)」などとも言いますが、

言葉や行動、表情や態度などで、

その人を判断することもできますが、

実はそれだけではなく、

「残り香」のような判断もできるわけで、

逆に言えば、「残り香」というものは、

その人の内部から、

気が付くと滲み出ているものですから

口や態度のように取り繕ったり、

嘘をつくことができない。

ということです。

気品のある人というのは、

たたずまいだけで、どことなく違うものですが

そういうところを整えていくには、

「君、知らないの?ウププ」という、

以前の拙者のような、

品のない普段の考え方から、

距離をとっていくことです。

心や頭の中に、

「品のない習慣」みたいな、

余計なものが最初から入っていると、

お腹いっぱいですから、

知識が身に染みてくるところまで、

時間がかかる。

ですから、エゴで聞かず空で聞く。

ようするに、なるべく、

ブリ大根の大根のようにしておくことが

大事なことですが、

そうなれば、煮込まれて味がしみても、

大根の味は消えないどころか、

かえって大根の旨味が増すわけです。