戦国三大梟雄 松永久秀と茶器の話

松永弾正久秀

戦国三大梟雄の一人だと言われる

松永久秀は松永弾正ともいわれ

位階は従四位下、官職は弾正少弼。

信長さんが京都にて、

家康さんや主だった織田家臣を集めて、

軍議をひらいたおりに

「この男は、普通の男がやらないことを3つもした男だ。1つは主君の三好家を滅ぼしたこと。2つは、将軍足利義輝を暗殺したこと。そして3つめは、東大寺の大仏殿を焼き払ったこと。」

と、久秀さんのことを紹介したとかなんとか。

ということですが、

そもそも、将軍義輝さんに兵を向けたとき、

久秀さんは現場にいなかったようですし、

大仏殿も狙って燃やしたわけではなく、

そこに本陣を置いた敵と交戦するうちに、

引火したような説もあり、

現在は「こんなの創作話じゃね?」

という説が、今は有力のようですねー。

弾正って?

余談ですが、弾正という職は、

今でいう警察のような意味で

弾正台という組織、

今でいう警察庁に所属している人のことです。

ですので簡単にいうと「弾正」と名がつく人は

「警察の仕事をしている人」と、

いうことになりますが、

きちんと朝廷より任命された場合もあれば、

逮捕されたときにニュースに出るような

「自称、会社経営」のような感じで、

「自称」の場合も多々あったようですね。

ちなみに、久秀さんは

きちんと朝廷より任命されているようですので、

自称弾正ではないようです。

名器 九十九髪茄子を献上

久秀さんは茶人としても有名で、

茶の師匠は武野紹鴎(たけの じょうおう)

後に千利休から、

「術は紹鴎より受けた」と評価された人です。

また、名物と言われる有名な茶器を

いくつか所有していたようで、

そのうちのひとつが

「九十九髪茄子」(つくもかみなす)という

茶入れですが、

信長さんに臣従するさいに、忠義の証として、

この九十九茄子を差し出したようです。

(お世話になったお礼という説もあり)

この、九十九髪茄子。

ちなみにKOEIさんのゲーム

「信長の野望」シリーズでは一等級という

一番価値の高い茶器のひとつです。

今もこの九十九茄子は現存するようですが

本能寺の変において、

釉薬が焼かれてしまったとか、

大阪夏の陣で焼かれて見つかったとか、

またそうではなく、織田有楽斎によれば、

(信長さんの弟)

夏の陣で見つかったのは、

「紹鴎茄子」と「にたり茄子」で、

九十九茄子ではない。

という説もあり、

九十九茄子が現存するかどうかは、

微妙なところのようです。

平蜘蛛の釜と爆死?

理由には諸説あるようですが、

三好三人衆や三好義継らと連携し、

足利義昭が音頭を取り、

毛利、武田、本願寺などで形成した

いわゆる「信長包囲網」に加わり

織田家に敵対。

武田信玄の上洛に呼応しましたが、

西上作戦の途中で信玄が病死し、武田軍は撤退。

その後、織田軍の反攻によって、

足利義昭が追放されたり、

三好義継も自刃となったりで、

結局、久秀さんも降伏することになりました。

許されるということは、

やはり能力はあったのでしょう。

「許してやるから、しっかり働けYOー」(超訳)

と言われ、本願寺攻めに加わりますが、

やっぱり嫌気がさしたか、

守っていた砦を放棄し、息子共々

大和の国にある居城、信貴山城に帰り

籠城します。

信長さんは嫡男の信忠さんを総大将にして、

信貴山城を包囲。

まあ、2回目ですから・・・

今回はもうね。と、思いきや、

「いやー、松永君。きみ2回目だけどさぁ、まあ許してやるから、その平蜘蛛の釜をよこしなさい。それも一等級だし。」(超訳)

KOEIさんの「信長の野望」的には、

一等級の茶器は非常に大事です。

一等級の茶器は、与えた武将の政治力を

10も上げることができるアイテムですので、

信長は、一等級の価値を持つ平蜘蛛の釜が

欲しかったのでしょうか。

それとも、

一等級の茶器を二つも持っていた、

松永弾正に嫉妬していたのでしょうか。

(知らんがな)

ゲームの話はさておき・・・、

真偽はわからないようですが、

またもや許す、という内容で、

降伏せよと伝えたともいわれますが、

信長さんがよこせといったとか、

久秀さんがダメといったとかいう記述は

当時の資料にはないようで、

「こんなの後の時代の創作話じゃね?」

という説もあります。

逆に久秀さんは、

平蜘蛛をどうしても渡したくなかったようで、

(これはどうやら本当のようですね)

平蜘蛛の釜を打ち砕いて壊した後に、

自刃したとか。

一説によると、鉄砲の火薬を釜の中につめて

火をつけて爆破させた後に、自刃したとか。

また一説には、

その平蜘蛛の釜と共に自爆したといわれたり、

また、さらには、いやいやそんなことなくて、

落城した後に首は安土城に送られ、

胴体を仇敵の筒井順慶が弔ったんだよ。

という説もあります。

信長公記には、ただ

「天守閣に火をつけて焼け死んだ。」

としか最後の記載はありませんが

いずれにしても、松永久秀の自刃の日は、

久秀が東大寺の大仏殿を焼失させた日と同じ、

10月10日で、

世の人々は「大仏殿を焼失させた因果」

だと、噂をしたようです。

その日は、大仏殿焼失の日と同じように、

雨が降っていたということですよ。

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