それぞれに相応しい場所がある

バカとはつきあわない

バカとは距離を置こう。

生産的でないばかりか、自分の価値を損なうからだ。

ゲーテは言う。

「あらゆる泥棒の中でバカがいちばん悪質だ。彼らは時間と気分の両方を盗む」

賢者の周辺にはバカはいない。

ゲーテに学ぶ 賢者の知恵

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 適菜収さん編著

賢者の周辺にはバカはいない

わたくしめが目指しているバカとは違いますが、

こういう方に、たまに遭遇します。

ここでいう「バカ」とは、

ようするに、年齢的には大人であっても、

心は成長していない「こども」ということです。

賢者の周辺にはバカはいないようですが、

みなさんのまわりにはいないですか?

生産的でない人たち

文中には「生産的でない」とありますが、

確かに、こういう方と一緒にいると、

相手にすべての時間を捧げることになり、

気を使い、1日が過ぎていきます。

欲しい、欲しいというような、

自己中心的な欲望の先には、

消費があるだけで生産はありませんが、

相手は「こども」なのですから

自己中心的にふるまうことは、

仕方がないことです。

ですが年齢的には、いい大人なので、

たまに「ちょっと、ちょっと・・」と

声を掛けたくなることがありますが、

そのような方は、例えば、

自分の思うようにしてもらえることが「優しさ」

自分の思うようにしてくれる人が「優しい人」

という認識でいますので、

本当に小言を言うと

「あんなこと言われると思わなかった。」

「聞きたくもないことを言われた。」

「傷ついた。」

などと、言われたり、思われたりします。

自分の価値を損なう

また「自分の価値を損なう」と

文中にはありますが、

それは生産的でない時点で、

世に貢献できていないということであり、

また、そのような人たちと、

自分から喜んで時間を共有している場合は、

「君もそうなのか?」ということになるので、

「自分の価値を損なう」ということに

つながるというわけです。

ですが、わたしは人間としての「価値」は

すべて同じだと思っています。

例えば、その人に10の能力があれば、

世の中に10貢献することができますが、

世間には、能力が1の人もいれば、

5の人もいると思うのです。

能力が10の人は、10貢献できる。

5の人は5貢献できる。

単純にその大きさの違いだけで、

それぞれ人としての価値は同じ。

そしてその違いが、個性だと思っています。

ですので、10も5も1も、全ては同じであり、

尊い存在であるという考え方なのですが、

ここでいう「価値を損なう」という意味は、

例えば、10の能力がありながら、

己の欲望を満たすことだけに興味を向け、

世に貢献することなど視界にない。

このような人間は「バカ」であるから、

そのような者とは距離を置き、

己の持つ能力で、世に貢献することだ。

でなければ、もったいないよ。

という意味だと思うわけです。

その人に相応しく

これは、どちらがいい、

どちらが悪いという話ではないのですが、

その人には、その人に相応しい人物が集まり、

相応しい出来事が起きます。

それがしには、それがしに相応しく

Aさんには、Aさんに相応しい人物や

出来事が起きるのが、

それぞれの人生というものです。

例えば、ゴルフを全く知らないあっしに、

世界で活躍するプロゴルファーが、

ゴルフの神髄を伝授しようと思っても、

そもそも、その時点で

見えている景色が全く違うわけですから、

わたしには確実に、

その教えの全てを受け取ることはできません。

というより、会話すら成り立たない場面も

多々あるでしょう。涙

わたしに教えるには、あくびをしながら教えても、

技術の神髄に近い人なら、一生懸命教えてくれ、

受け取る人も一生懸命学ぼうと思うものです。

それは、わたしが劣っていて、

プロが優れているという話ではなく、

ようするに、

それぞれに相応しいステージがあって、

相応しいステージがあるのは、

どんな人でも同じだよ。ということです。

また、自分に相応しい場所でなければ、

自分にちょうどよく、大事なことは、

起きることはないわけですから、

相手とステージが違うようなら、

距離を置き、それぞれ相応しいステージで

生きていけばいいだけであり、

立ちたいと思うステージがあるのなら、

そこにいる人に対してひがんだり、

足を引っ張ろうとせず、

そのステージに相応しい自分になるよう、

そこを目指して精進する。

それが人間にとって、

大事なことだと思うのですよ。