豊かさとは何か?(ノブレスオブリージュ)

私たちは、どんなに良い結果を心に描いても、

それを手にするに値しない人間でいるかぎり、

悪い結果しか手にできない。

人が価値ある目標を達成するためには、

自分の身勝手な考えと、

それに付随した気紛れな感情や欲望の、

少なくともかなりの部分を、

犠牲にする必要があります。

ここに、ひどく貧しい男がいます。

彼は、自分のあらゆる環境が

変わることを願っています。

しかし、給料の安さを理由に、

仕事をさぼること、

つまり、会社をだますことを選んでいます。

彼は、豊かになるための方法を

何一つ理解していません。

それでは、彼の環境は、

たとえ変わったとしても、

もっと貧しい環境になるだけです。

ここに暴飲暴食の結果、

深刻な病気にかかっている、裕福な男がいます。

彼は、健康を取り戻そうとして、

お金を惜しみなく使っていますが、

自分の欲望は何一つ

犠牲にしようとしていません。

異常な食欲を満たしたいと願いながら、

健康も欲しがっているのです。

それでは、健康など絶対に取り戻せません。

健康を手にするに値しない人間だからです。

ここで二つの例を紹介したのは、

「私たちはどんなに良い結果を心に描いても、それを手にするに値しない人間でいる限り、悪い結果しか手にできない」

ということです。

ジェームズ・アレン著、坂本貢一訳、きっと!すべてがうまくいく

手にするに値しない人間

ここで紹介されている二つの例は、

我が身を省みることをせず、

自分以外の責任にして生きている人が、

やっている行動習慣です。

ようするに、

「自分で努力してみよう!」ではなく、

「誰かに何とかしてもらうー♡」

「うまくいかないのは○○のせいー(激おこ)」

という人たちですね。

生き方は人それぞれであり、

その生き方に相応しい人生を手にするのも

結局、その本人なのですから、

好きにやればいいことですが・・・。

(冷たい?)

もし人生に「良き変化を起こしたい!」

と、考えている人がいるなら、

このような行動をしていると、

人生はさっぱり変わりません。

そもそも、こういう方々は、

目の前の出来事だけではなく、

人生が変化していかないことも、

「他人の責任」にしますから、

まあ、一生やってろ。と言いますか、笑

「あなた方の人生が豊かになることは、永遠にないでしょう。」

ということです。

豊かさを遠ざける悲しみ

豊かさを遠ざける悲しみは2つあると、

小生は思います。

ひとつは希望を失った悲しみです。

これは説明はいりませんね。

もうひとつは真理を知らず、

また、真理を理解できない悲しみです。

簡単に言えば、

車というものを知らない、

また車の存在を知っていても運転できない。

というようなものです。(わかりません?)

例えば、車を知らない人は

移動手段は永遠に徒歩です。

また知っていも、運転できなければ

これもまた歩くしかありません。

ようするに、真理とは、

人間が正しく豊かになっていくために

必要なものですが

真理を知らず、理解できなければ、

「豊かさのある、正しい方角を知らない。」

ということですから、

いくら努力して、たくさん歩いたとしても、

「その方向には豊かさはなかった。」

という結果しか生まないわけです。

発明家、エディソンのように、

「失敗は成功の母である」という

偉大な思考と希望を持ち続けることが

できる人であれば、

「この道は違った」を繰り返すうちに、

「豊かさに至った!」

ということもあるかもしれませんが、

わたくしめもその中の一人ですが・・・、

そんな人は世の中に、

そうそういないものですよねー。

ようするに、希望を失うことと

豊かさへの確実な地図を持たないこと。

この二つが豊かさを遠ざける

悲しみではないかと思うのですが、

一時的なテクニックやメソッドなどで、

人生をなんとかしようというレベルの人たちには

到底、理解ができない話です。

豊かになるために

不快に思う人もいると理解して書きますが、

つらさは成長のチャンスだと思っています。

ようするに、真理を知るチャンスです。

普段自分の問題に向き合いながら

生きている人であれば、

「出した答えが違っているから、こうやって同じような宿題が毎回まわってくるんだなー」

と考え、真理という答えを知らないゆえに

起きた悲しみだと考えることができ、

「誰の責任でもなく、自分の考え方が未熟だからか?」と、

真理に気づくための、

いいきっかけになるわけですが、

逆境を他人の責任にしながら、

自分の問題として向き合わず生きている人は、

ただのつらい出来事でしかありませんから、

わめき散らして終わりです。

目を向けるもの

人生によい変化を起こす人と、

起こすことができない人の違いは、

何を見ているかです。

どういうことかというと、目的が快楽なら

快楽へ向かおうとするわけですから、

その人が、快楽や快楽を満たす手段以外に

目を向けようとしなくなるのは、

当たり前のことであり、

そんな思考を持っている人が、

自己中心的に生きようとしてしまうのも、

当たり前のことです。

そしてその結果、人生において

自分に相応しいものを手にするという、

非常にシンプルな構造に、人生はなっています。

例えば、人生がつまらないのなら

そう思うその人がつまらないわけですし、

まわりに集まってくる人は、

「つまらないと考えている、そんなあなたでもいいよ♡」

と、思う類友のみなさまが集まってきて、

あなたも「気が合う♡」と相手を気に入り、

やがては、つまらないが2倍になる「苦」を、

積み重ねていけるわけですから、

逆にいえば、豊かになりたいのなら、

己の欲望を満たすことだけを考えているような

利己的な思考習慣をやめ、

自分もまわりも豊かにできる

思考に変えていくことができれば、

ノブレス・オブリージュ的な人たちや

だんだんと豊かさに相応しい人に

近づいていけるという、

非常に単純な法則なのです。

ようするに、

同じような人とバランスが取れるので、

まず自分が、なりたいとイメージするものや

囲まれたいと思う人に

相応しい人間になればいいだけであり、

相応しい人間になれば、

天が全て用意してくれるわけです。